2007年7月 1日 (日)

7月1日再会の約束の日「めぐり逢い」(57年米)

ヨーロッパからニューヨークへ向かう豪華客船の中で出会ったニッキー(ケーリー・グラント)とテリー(デボラ・カー)。寄港地ナポリのニッキーの叔母の家を訪れるなど、楽しい時を過ごすした。恋に落ちた二人だが、お互いニューヨークに待つ人のある身であったため、半年後に会う約束を交わして別れた。「7月1日午後5時、エンパイアビルの展望台。天国に一番近い所、102階で」

この恋の前に立ちはだかるはずのテリーの恋人は、彼女が正直に打ち明けると「何かあったら連絡してくれ」とテリーの幸せを願うような、ものすごーくできた人物なのだった。で、約束の場所に向かった7月1日、《何か》が起こってしまう・・・。障害がなくなっても簡単には幸せになれない、アクシデンタルなすれ違い。メロドラマの王道です。美男美女の運命的な出会い、シャレた会話、ハラハラ見守る恋の行方、ハリウッドのラヴ・ロマンス黄金期の代表作だと思います。

ところで、テリーの恋人のように、愛する女性に対して寛大すぎるほどの男性がアメリカ映画に頻繁に出てきますが、努力?の割にいたく損な役回りですよね。一方、ロマンスの主役が自然すぎて、演技のうまさが伝わらない感のあるケーリー・グラント。俳優としては損だったのかも。

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2007年6月27日 (水)

1880年6月27日ヘレン・ケラー誕生「奇跡の人」(62年米)

1880年6月27日、アラバマ州タスカンビアで誕生したヘレン・ケラーは生後19カ月の時、原因不明の高熱に侵され視覚と聴覚を失ってしまう。閉ざされた世界で7歳になったヘレン(パティ・デューク)のもとに21歳の家庭教師のアニー・サリバン(アン・バンクロフト)がやって来た。

先ずアニーは指文字でアルファベットを教え、ものには名前があることを理解させようとした。行儀の躾けにおいてはヘレン対アニーの格闘さながらの状態が続く。両親のヘレンに対する憐憫ゆえの過保護が成長を妨げると、アニーはヘレンと離れの小屋で暮らすことを願い出て、2週間の約束で許可された。

ヘレンは世界の全てを知りたがっていると見抜き、信じ、彼女の魂を掘り起こそうと不撓不屈の精神でヘレンと向き合い、それによりヘレンの奇跡を呼び起こしたサリバン先生。劣悪な環境で育った自己の体験からヘレンの心に寄り添うことができるサリバン先生。くじけそうになると過去の情景がオーバーラップされ、あきらめないことで同時に自分自身も救われていく感じが伝わる映像になっていて、観客の方も救われる感じがするのです。

三重苦を乗り越え、社会福祉に貢献した偉人ヘレン・ケラーと、彼女の暗黒の世界に光を差し込むという奇跡の働きをしたアニー・サリバンの二人の女性に、今宵、乾杯を。

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2007年6月19日 (火)

6月19日ベアーズ、決勝戦に臨む「がんばれ!ベアーズ」(76年米)

少年野球チームのベアーズは市会議員のボブが自分の息子のために作ったチームで、どの子も野球がまともにできないばかりか、個性が強く協調性も全くない。そんなチームの監督を依頼された元マイナーリーグのピッチャーだったモリス(ウォルター・マッソー)だが、昼間から飲酒をしているような人物で「素面でも役立たず」などと言われている。リーグ戦も大負けが続き、士気は完全に衰えチーム解散の危機に。ここで発奮したモリスが「一度あきらめたら癖になる。続けろ」と少年たちを鼓舞し、野球の基礎を教え、チームワークを学ばせる。そして、12才の天才少女アマンダ(テータム・オニール)をピッチャーにスカウトし、さらに、運動神経抜群だが不良少年と呼ばれているケリー(ジャッキー・ヘーリー)を入れるなどして、ベアーズは急成長。野球の技術力というよりも、それ以上にそれぞれが人間的に成長していく。あくまでも個性を失わずに、というところがGOOD.

ベアーズはついに、6月19日(アメリカの学校はこの時期、学年末)のリーグの上位2チームで戦う優勝決定戦に進出することに。この決勝戦で両チームの監督は勝つことのみに汲々としてしまうが、そんな大人に対して子供たちはキッパリと抗議。彼らは勝敗よりも大切なものを感じ取り、それを守ろうとするほどに成長していたんですねえ。この最後の試合は<みんな違ってみんないい>を打ち出しているように感じます。

ビゼー作曲の♪カルメン序曲 まるでこの映画のオリジナル曲のようにピッタリです。

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2007年6月13日 (水)

1886年6月13日ルートヴィヒ逝く「ルートヴィヒ 神々の黄昏」(72年伊・西独・仏)

1864年、18歳でバイエルン国王に即位したルートヴィヒ2世。国を治める仕事より芸術が大好き。王になって早速「リヒャルト・ワーグナーを捜せ」と命令した。「国に芸術を広めることで国民の役に立ちたい」と本気で思っている、容姿端麗な若き王ルートヴィヒ(ヘルムート・バーガー)はゲルマン伝説をオペラにしたワーグナー(トレバー・ハワード)に心酔し、強力にバックアップした。また、ルートヴィヒは従姉にあたるオーストリア皇后のエリザベート(ロミー・シュナイダー)を生涯、慕い続けた。

1866年のプロシア・オーストリア戦争への参戦に際しても、1871年にはドイツ帝国の誕生でバイエルンは併合され、名ばかりの王になってしまっても、とにかく争そいごとは大嫌い、なのだった。それは芸術を愛する彼の心の対極にあったものだったのだろう。

ワーグナーが去った後は、中世風の豪華なお城、後に白鳥城と呼ばれ、シンデレラ城のモデルともなったノイシュバンシュタイン城の建設に熱中する。さらに、リンダーホーフ城、ヘレンキムゼー城と、自分の芸術世界を実現させるために巨費を投じ国家財政は傾いた。

自分にとって大事なものと苦手なものが、あまりに明確で、それに殉じているルートヴィヒ。もし彼が、国王などではないが自由にできる自分のお金は存分にある、という人物だったらどうだったのだろう・・・。しかし、立場が立場だけに、パラノイア(偏執狂)と診断を下され、国の統治は不可能だとミュンヘンのベルク城に幽閉されてしまう。そして1886年6月13日、精神科医と共にベルク城の湖畔で遺体が発見された。謎の死をとげたバイエルン最後の国王は伝説の王となった。

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2007年6月11日 (月)

6月11日ミランダ解放される予定の日「コレクター」(65年米)

蝶の収集が唯一の趣味であるフレディ(テレンス・スタンプ)はサッカーくじで大金を得たことにより、仕事を辞め、人里離れた一軒家を購入。美術学校生のミランダ(サマンサ・エッガー)をストーカーし誘拐し監禁する。彼にとって、ミランダは今まで採取した蝶のコレクションの中で一番の宝物なのだ。だから、リスペクトし大切に扱う。「自分という人間を知れば、当然、自分を愛してくれるはずだから、それまでの間、監禁する目的で誘拐した。終身刑でもそれなりの価値はある」と、とっても冷静で、表面は紳士的でさえあるフレディ。普通の感覚からすれば異常でも、彼の中では全てが理路整然としている。

「私があなたを愛するなんて死んでもあり得ない!」と当然、ミランダは解放してくれるよう懇願する。「食事をし、僕と会話して逃げようとしなければ」という条件付で、4週間後に解放すると約束させたミランダは壁にカレンダーを印して、その日6月11日に希望を託しもし、抵抗もする。

蝶のコレクションと人間の監禁が同じレベルのフレディは、社会からスポイルされてきたような部分があって、被害妄想も膨らんでいたようだ。社会に通用しない自分本位の理屈と欲望で行動する異常心理(性格)の人ではあるけれど、こういう心理状態は社会生活の中で発生し、それがまた、日常の中に潜伏しているのだと思うと、本当に怖くなるのでした。

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2007年6月 6日 (水)

1939年6月6日セントルイス号アメリカ海域を追われる「さすらいの航海」(76年英)

この映画を観なかったら知りえなかったであろう、第二次世界大戦直前の忌まわしい史実がドキュメントタッチで語られている。

1939年5月13日、ドイツ客船セントルイス号が亡命を希望するユダヤ人937名を乗せ、ハンブルクからキューバのハバナに向けて出航した。故郷を去る寂しさはあるものの、迫害に耐えてきた彼らは自由を夢見て大西洋へと船出する。しかし、最初からこの航海はユダヤ人迫害への国際世論を配慮したナチスによって仕組まれたものだった。亡命希望者を援助しているというジェスチャアのみならず、混乱しているキューバの国情に乗じてキューバがこの亡命者を入国させぬように画策して、ナチスだけがユダヤ人を嫌っているわけではない、との宣伝に利用するためだった。

5月27日、ハバナ港沖にセントルイス号停泊。上陸許可を願うものの叶えられず、6月2日よりフロリダ海峡を迷走していたこの難民船はアメリカ沿岸警備隊からも米本土への接近・上陸を禁じられ、ついに6月6日、大西洋を引き返すこととなる。この計画に利用されたセントルイス号のシュレーダ船長(マックス・フォン・シドー)はドイツへの帰国を何とか回避しようと尽力する。自らの危険を顧みず、ナチスに抵抗したドイツ人は確かにいたのだ。

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2007年5月30日 (水)

1431年5月30日ジャンヌ・ダルク火刑「ジャンヌ・ダルク」(99年米・仏)

イギリス・フランス間の百年戦争(1338<サンザンヤッタガ>~1453<イヨ、ゴミノゴトシ>と年号だけは高校の世界史で習ったことを忘れないでいる)の終盤、戦争で荒廃していたフランスに出現しフランスの救世主とされるジャンヌ・ダルク。神のお告げを聞き、1429年、シャルル王太子に謁見し、英国軍と戦いオルレアンを解放する。王太子はランス大聖堂で戴冠式を挙行し正式にフランス国王シャルル7世となった。ジャンヌ・ダルク、この時17歳。しかし翌年には、この少女のカリスマ性がフランスにとっても脅威となり、策略によりイギリス側の捕虜にされ、宗教裁判にかけられる。

この映画の特異なところは、囚われの身となったジャンヌ(ミラ・ジョヴォヴィッチ)が牢の中で、神のお告げは奇跡などではなく、自分の内なる声、つまり、自分の欲望ではなかったのか?と苦悶するところ。その疑問はジャンヌの良心となって、声だけではなく正体(ダスティン・ホフマン)があり、辛らつな問答を繰り広げる。敬虔なキリスト教信者のジャンヌは自分が神を冒涜する行いをしたのではないかと畏れ、また、神自体への不信感も湧き上がり、心が引き裂かれる。裁判の審問もジャンヌの信仰心を乱すだけのもので、体の生死よりも救われたいのは魂、との気持になってゆく。

1431年5月30日、19歳のジャンヌ・ダルクは異端者としてルーアンで火刑に処せられ、聖女とも魔女とも呼ばれたが、1920年、ヴァチカンは正式に「聖女」の列に加えた。

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2007年5月23日 (水)

1934年5月23日ボニーとクライド射殺「俺たちに明日はない」(67年米)

大恐慌下のアメリカに実在したクライド・バロウとボニー・パーカーのカップルを中心とする「バロウ・ギャング」と呼ばれた強盗団の犯罪ぶりと、その末路です。この若きアウトローの物語に青春物語としての輝きがあるのは、彼らの犯罪が庶民が疲弊していた大不況時代のはけ口の役割にもなっていたからです。そして何より、ボニーとクライドにとっては青春そのものだったのです。

刑務所帰りのクライド(ウォーレン・ベイティ)はボニー(フェイ・ダナウェイ)に出会い、いいところを見せようと押し入った銀行は不況のため倒産していた。軽い気持で始まった強盗は次第にエスカレートしていき、仲間を増やしてアメリカ中南部を股にかけ暴れまわり、その名を轟かせることに。彼らにとっての強盗(それによる殺人さえも)は自分たちの生を生きていることの証のようなものだったのでしょうか? 刹那的人生を選んだボニーとクライド。1934年5月23日、ルイジアナ州アーカディアで最期を迎えることとなるのです。二人が全身に銃弾を浴びるスローモーションー映像は“死のバレエ”と称されています。

この映画が製作・公開された時代はベトナム戦争への反戦運動、人種問題や麻薬の蔓延、若者のピッピー現象など、問題山積でハッピーエンドが空々しく、単純明快は嘘っぽく感じられるようになったのでしょう。「アメリカン・ニューシネマ」と呼ばれる新しいスタイルの映画が次々と登場することとなるのですが、この映画はその先駆けとなったエポック・メーキング的な意味もある作品です。また、ボニーとクライドの事件は州を越えての犯罪捜査の必要性が証明され、FBI設立(1935年)の強力な後押しとなったそうです。

ボニー=フェイ・ダナウェイには熱い思い入れがあるのですが、とてもここでは語り尽くせない。

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2007年5月21日 (月)

1927年5月21日大西洋横断飛行初成功「翼よ!あれが巴里の灯だ」(57年米)

チャールズ・A・リンドバーグ(1902~74)が’53年に出版しピューリッア賞を受賞した回顧録『ザ・スピリット・オブ・セントルイス』をビリー・ワイルダーの脚本・監督で映画化。

リンドバーグ(ジェームズ・スチュアート)は<大西洋横断無着陸飛行>挑戦の前夜、眠りにつくことができず、決行までに至る経過を回想する。当時、この命がけの大冒険である大西洋横断飛行に2万5千ドルの賞金が賭けられていて、アメリカやヨーロッパの飛行士たちが先を争って挑戦しようとしていた。セントルイスの郵便機パイロットのリンドバーグは実業家たちを説得して出資金を集め、航空機会社と交渉して横断用の飛行機スピリット・オブ・セントルイス号を製作してもらったのだった。総重量を抑え燃料を最大限に積み込むため、無線機や六分儀などは装備せず、パラシュートも持たない、という徹底ぶり。

1927年5月20日、ニューヨークのルーズベルト飛行場を飛び立つ。手動での計器の調整や地図と方位磁石での進路の確認など、リンドバーグが操縦するセントルイス号自体にも魂が宿っているかのようだ。睡魔との闘いや、機体の凍結などの危機も脱して33時間半、5810キロに及ぶ大西洋横断単独飛行を遂行、5月21日、パリのブルージェ飛行場に着陸。リンドバーグは一躍、時の人となった。

フロンティア・スピットとかアメリカン・ドリームとか、元気いっぱい夢いっぱいで困難に挑戦し、前進するするアメリカがここにある。周りには必ず温かく力強い協力者がいて、50年代までは「人生って素晴らしい」的な映画が主流だったんですねえ。

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2007年5月19日 (土)

1935年5月19日T.E.ロレンス逝く「アラビアのロレンス」(62年英/89年完全版)

トマス・エドーワード・ロレンスが1935年5月13日のオートバイ事故により5月19日、47歳の生涯を閉じた。「偉大な人物」「自己宣伝家」と葬儀参列者の評価は様々だ。考古学者であり、外国語や文学など幅広い教養を身につけた後、軍人になったロレンスは最初から異端児的存在だったようだ。

第一次世界大戦の最中、ロレンス中尉(ピーター・オトゥール)はアラブの動向を探る英国陸軍の情報部員としてヨルダン南部の砂漠地帯に赴く。そして彼は一軍人としての枠を超え、ドイツが支援するトルコ軍の侵略に抵抗するアラブ反乱軍の指揮を執るようになる。当初から<アラブ独立>の思いを持っていたロレンスはその熱意と実行力でアラブ民族の信頼を得て、アラブの民族衣装に身を包み、神がかり的な快進撃を続けた。アメリカ人ジャーナリストの取材記事にもより<砂漠の英雄>に祭り上げられ、本人もその気になってゆく。しかしそれは、トルコに代わりアラブの地の利権を狙うイギリス(フランスとトルコ・アラビアを分譲する条約を交わしている)にとっては不都合なことだった。イギリスの思惑はアラブ側からロレンスに対しても不審をかうことになる。

負傷した味方を敵方の捕虜にさせないため殺さなければならないアラブの掟に従った殺人。トルコ軍に捕らえら拷問された苦い体験と、その反動でトルコ軍に残虐な仕返しをしたロレンス。自分はイギリス軍人でもなくアラブ人にもなれない、というアイディンティティの喪失感。部族ごとの結束が固く団結しないアラブの民。数々の問題をはらみ、彼はついに自己矛盾を抱えきれなくなるのだった。

闘争の歴史の歯車に飲み込まれていったロレンス。ジャーナリストに「砂漠の魅力は?」と問われ「清潔(クリーン)なこと」と答えたロレンス。人間の心もそうであれ、と願ったに違いない。この映画は砂漠の美しさと恐ろしさをも見事に写し出している。

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2007年5月18日 (金)

1911年5月18日マーラー逝く「ベニスに死す」(71年伊)

東雲たなびく朝まだき、一隻の蒸気船が穏やかな海を航行している。グスタフ・マーラーの『交響曲第5番・第4楽章アダージェット』の旋律が映像からあふれ出す、夢の中にいるようなオープニング。小説家が主人公だがマーラーがモデルとされるドイツの文豪トーマス・マンの小説『ベニスに死す』を、頽廃美を描ききる巨匠ヴィスコンティ監督が主人公を音楽家グスタフ・アッシェンバッハにして映画化。マーラーの曲がアッシェンバッハの心情の伴奏のごとくに流れている。

医師から静養を勧められ、アッシェンバッハ(ダーク・ボガード)はベニスのリド島を訪れます。その滞在先のホテルで<完璧なる美>に遭遇してしまい、心かき乱れ、静養どころではなくなってしまいます。ポーランドの美少年タージオ(ビョルン・アンドレセン)にこの芸術家の美の探究心を鷲づかみにされてしまったのでした。ただ、その少年を見ただけで。感情移入できなくても、アッシェンバッハ先生の歓喜と苦悩の胸の鼓動、焦燥感や絶望感まで伝わってきます。美しい女性に恋をした、というレベルとは完全に異次元の神話的世界です。折からベニスにはコレラの脅威が・・・。

タージオ少年は確かに美しいけれど、私はマーラー作曲のハープと管弦が奏でるアダージェットとダーク・ボガードの演技に魅せられました。

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2007年5月16日 (水)

1929年5月16日第一回アカデミー賞授賞式「アカデミー賞グレイテスト・モメント」(ビデオ・92年米)

アメリカ映画芸術科学アカデミー主催の映画の祭典、アカデミー賞授賞式。そのスタートは1929年5月16日、ハリウッドのルーズベルト・ホテルの大広間で5分ほどの授賞式を行い、晩餐会で受賞者を祝ったそうだ。2007年で79回目を迎え、今では90カ国30の言語でテレビ放送され、10億人がオスカーの行方を見守っているといわれる。

1971年(第43回)~1991年(第63回)の授賞式のハイライト・シーンが収録されている『アカデミー賞グレイテストモメント』のビデオを久々に観て、改めてその歴史と伝統を感じた。受賞者は感激と謝辞で充分だが、司会者やプレゼンターは笑いを取ることを使命としているかのようだ。伝統芸というより、皮肉をブレンドしたユーモアは体質芸だと思う。後になって聞くと受賞者の感謝だらけのスピーチより価値がある、っていうか面白い。そんな中にも、アカデミー賞批判や拒否、政治的な発言などもあり、それらに対し「この場には相応しくない」と意見する者あり、シリアスな部分も共存している。これこそ本場アカデミー賞の厚みと重みかも?

アメリカを追放されていたチャールズ・チャップリンが’72年の授賞式で「特別賞」を授与され感極まっている様子は胸にこたえる。この賞は長年、映画業界に貢献してきた人に対する敬意という形だが、「あなたにオスカーを渡し損ねてしまいました。遅ればせながらお受けください」と、アカデミー協会が謝罪の代わりに贈る意味合も大きいと思う。ヒッチコック監督やケーリー・グラントなどなど。最近ではピーター・オトゥールも。

プレゼンターがオスカー受賞者を発表するときの「The WINNER is ~(勝者は~)」が第61回の授賞式から「The OSCAR goes to ~(オスカーは~にいく)」に変更された。言葉って大事。オスカーの名はますます広まることに。

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2007年5月12日 (土)

1943年5月12日クワイ河にかかる橋が完成「戦場にかける橋」(57年英)

太平洋戦争中、ビルマ(現ミャンマー)国境に近いタイの密林にある日本軍の捕虜収容所の所長、斎藤大佐(早川雪洲)は司令部からタイ・ビルマ間の鉄道(泰緬鉄道)完成のためクワイ河渓谷に架橋建設の命を受けていた。そこにニコルスン大佐(アレック・ギネス)を隊長とする大勢のイギリス軍捕虜が送られてくる。斎藤大佐はイギリス軍全員に架橋建設の労働を命じるが、ニコルスン大佐は「士官の捕虜に肉体労働をさせるのはジュネーブ協定違反」として、懲罰小屋に入れられても断固これを拒否。イギリス軍捕虜の士気は乱れ、建設を指揮する日本人技術者の能力不足もあって橋の建設は一向に進まない。ニコルスンの協力を得たい斎藤は、日本軍の日露戦争戦勝記念日(3月10日)の大赦を口実に英軍士官たちを釈放する。

武士道精神の日本男児VS騎士道精神の英国紳士、的な頑固なプライドと意地の張り合いが見事に描き出されているのには驚きです。そして、この二人には同じ軍人として通じ合うものが芽生えてゆくのです。この心理描写は戦争映画を超越しています。

ニコルスン大佐は日本軍のためにではなく、イギリス軍の士気高揚と後世に残る名誉のために立派な橋を建設しようと、自らの尊厳をかけ奮い立つ。そして、予定期日の1943年5月12日、架橋工事は終了。完成した橋を満足気に見回るニコルソン大佐。そこへ斎藤大佐がやって来て、素直に敵方の功績を褒められず、夕焼け空を眺めて「ビューティフル」とつぶやくところは、泣けちゃいます。

一方、連合軍側ではこの橋の爆破準備が進められている・・・。

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2007年5月11日 (金)

1904年5月11日ダリ誕生「ダリ 天才日記」(90年スペイン)

1940年、戦禍のヨーロッパよりニューヨークに到着した亡命船から、大きなフランスパンを頭に載せた奇抜なスタイルのサルバドール・ダリ(ロレンツォ・クイン)と妻ガラ(サラ・ダグラス)が降り立った。彼はインタビューに「私は世紀の天才だ。私は超現実主義の旗手ではない、私がシュールレアリズムだ」と答える。そんなダリに興味を抱くタイムズ誌の記者トム(マイケル・キャトリン)が「天才の裏側を知りたい」と彼を独占取材する。今までの人生のエピソードを語るダリ。

ダリ誕生(1904年5月11日)の前年、兄が夭折したために兄と同じ名前をつけられ、身代わりでもあったという。母に溺愛され、父には邪険にされた。このあたりから既に、ダリの精神は超現実世界をさ迷い始めていたらしい。10歳で斬新な絵の技法を考案して、先生に教わることは何もなかった。詩人である友人ポール・エリュアールの妻ガラに一目惚れし10歳年上の彼女を妻に。映画監督ルイス・ブニュエルと『アンダルシアの犬』を制作し大成功したこと、などなど、天才自身の語る天才の人生にブレはないかのようだ。苦を苦と思わないのも天才の条件の一つなのだろうか、感じないふりをしているだけなのだろうか。

紛争が続く祖国スペインからは逃避したが「全ての紛争に対して私のとった行動は戦争の邪悪で陰惨な顔を容赦なく描くことだった」と語るダリ。<チーズのように溶けかかった時計>や<ゆがんだ仮面>や<動物の異常に細い脚>などは戦争の悲惨さを象徴しているらしい。やはり、天才は一筋縄ではいかない。

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2007年5月 7日 (月)

1615年5月7日真田幸村戦死「真田風雲録」(63年東映)

この映画は「戦国武将たちの勢力争いの時代に育った少年たちの物語」であると同時に、「関ケ原の合戦を太平洋戦争に、真田十勇士を戦争孤児に、大坂冬・夏の陣を1960年の安保反対闘争になぞらえた風刺コメディで、時代劇にしてミュージカル仕立て」という立体構造になっています。真田幸村(千秋実)は大坂の陣で豊臣方に就いて戦うため、主人公たる孤児たちをスカウトする狂言回し的な役割なのですが、えらく俗っぽかったり、達観していて能天気なほどだったりしています。これは天からの視点(神の目線)なのでしょうか?

十勇士の佐助(中村金之助)は乳児期に隕石の放射能を浴びたことにより、姿を消せる能力と人の心が読める能力を持ってしまったがために、自らに孤独を課して生きています。そのため、お霧(渡辺美佐子)の想いを受け入れられません。相手の気持の些細な変化も読み取れてしまうからだと言います。特殊能力って、ほんと切ない。さらに、何のために自分が戦っているのかを考えている悩める若者ですが、そんな佐助の心中は権力者たちの闘争とは何ら関係ありません。

豊臣家の淀殿と息子の秀頼、その妻で家康の孫でもある千姫の3人の関係のパロディ化は大傑作です。また大坂城執権役の大野修理亮(佐藤慶)は複雑な気持を抱えているようなのですが、よく理解できずに気になります。シュールな手法で人間の精神面をリアルにシビアに描いたような驚異的な映画なのです。

1615(元和元)年5月7日、大坂夏の陣において真田左衛門佐幸村は(この映画の中ではかっこ悪く)豊臣家の終焉と共に戦死してしまいますが、であるからこそ『真田十勇士』の物語ができるほど人々に愛され、語り継がれています。

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2007年5月 1日 (火)

1931年5月1日エンパイア・ステート・ビル完成「キング・コング」(33年米)

1931年5月1日、ニューヨーク・マンハッタンに高さ381メートル、102階建てのエンパイア・ステート・ビルが完成。当時、世界一の高さを誇り、摩天楼の象徴となった、天を突くようなペンシル型のビルディング。

このビルの完成を記念し、天辺でモンスターを暴れさせよう、という発想で、この映画は制作されたのではないか、と私は踏んでいる。とは言え、巨猿が人間の女性に恋をする、というアイデアがこの映画の麗しいところ。このキング・コングの恋を<純愛>と呼ばずに、何をそう呼ぶ、と思ったのでありました。

記録映画撮影のため南海の孤島にやって来た映画制作者デナム(ロバート・アームストロング)の一行に翻弄されてしまうキング・コング。現地の人々からは神のごとくに崇められていたのに、文明人の傲慢さには勝てない。見世物にして儲けようとニューヨークまで連れて来られ、そのお披露目の場でのカメラのフラッシュが大切なアン(フェイ・レイ)を攻撃していると思ったコングは彼女を守るために、自分が縛られている鎖を切った。しかし、それは怪物の大暴れにしかならないのだった。アンを探し求め、ニューヨークの街を破壊してゆくコング。ただアンを守りたくて、この高い所なら大丈夫だ!と思ってエンパイア・ステート・ビルに避難させたのだ。それは所詮、叶うべくもない想いだった。

この時代の特撮は哀愁があって好きです。キング・コングはじめ南海の孤島に生存している恐竜や怪鳥たちの、ぎこちない動きが愛らしい。

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2007年4月25日 (水)

1868年4月25日新選組局長近藤勇処刑「新選組」(70年三船プロ)

試衛館道場で剣を学びし若者たち、上洛する将軍様をお守りするぞ、と燃える思いを胸に、1863年春、京に到着。いきなり擦った揉んだがあったものの、京都守護職会津中将松平肥後守様御預り・新選組となり、京の町の治安維持に勤めた(=「壬生狼」と蔑まれつつも、倒幕を画策していそうな不逞の輩を叩き斬った)

青雲の志とか、揺るぎない信念とか、友情の固い絆とか、損得勘定のない義理堅さとか、一途さゆえの無謀さとか・・・「幕末動乱期に咲いた徒花」と言われる要素の新選組に惹かれる者にとっては、この三船プロダクションによる三船敏郎のかっこよさ満開で制作された『新選組』の近藤勇は出来すぎていて聖人君子ぽくって、ファンにはなれないけれど、人間的な泥臭い部分をろ過していったらこんな風になるのかな、と思った。 2時間の中によくもこれほど、と思えるぐらい新選組の主なエピソード(見せ場)が盛り込まれている。(この映画では芹沢鴨を演じる三國連太郎さんがいいです)

短い間ではあったが「武士になる夢」を実現させた近藤勇は、明らかに負け戦である戊辰戦争で甲陽鎮撫隊を率いての出兵を命じられ、武士の義を、己の誠を貫いた。「新選組局長としてのとるべき責任」だとして、逆賊の汚名を着たままの斬首刑(切腹は許されず)を受け入れた。1868(慶応4)年4月25日、板橋にて公開処刑、享年35。武士以上に武士らしい最期だった。

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2007年4月23日 (月)

4月23日シェークスピア1564年誕生、1616年逝去「恋におちたシェークスピア」(98年米)

1593年ロンドン。ウィリアム・シェークスピア(ジョゼフ・ファインズ)は芝居小屋・ローズ座の屋主の依頼で、喜劇『ロミオと海賊娘のエセル』を執筆中だが、スランプに陥っている。精神分析に通い「言葉で愛を紡ぐ才能が枯れてしまった。女神さえ現れれば書けるのだが」と嘆いている。

当時、芝居を演ずるのは全て男性。女が芝居などハシタナイ、という、この時代に、役者を夢見る上流階級の令嬢ヴァイオラ(グゥイネス・パルトロウ)が男装して芝居のオーデションを受けた。“彼”の才能に驚いたシェークスピアは、その人の正体が自分に憧れている美女であることを知り、驚天動地、彼のペンは俄然、愛の言葉を紡ぎ出してゆく。しかし、ヴァイオラにはエリザベス女王の許可も下りた婚約者がいて、自分にも別居中の妻子がいる。悲喜交々あって、劇さながらの行き違いなどもあって、実生活の恋愛と芝居創作は同時進行。かくして、喜劇は愛の悲劇へと変貌、自分自身の愛の苦悩を『ロミオとジュリエット』へと昇華させていった。

いわゆるバックステージものなのだが、逆に、かの有名な『ロミオとジュリエット』から想像し、シェークスピアはこんな狂おしい恋をしていたかもしれない、というお話になっている。天から降りてきた言葉を書き留めて作品にしたような、言葉の天才魔術師のイメージのシェークスピアだが、その裏では創作の苦しみも意外と大きかったのかもしれない。たくさんの名作をありがとう!(「シェークスピアは一人ではない」説もあるけれど、それほどスゴイということで)

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2007年4月20日 (金)

1999年4月20日コロンバイン高校で銃乱射事件「ボウリング・フォー・コロンバイン」(02年加・米)

武器を所持することは憲法で保障された権利、というアメリカ。銃は日常生活の中に蔓延している。

1999年4月20日、コロラド州リトルトンのコロンバイン高校で起こった銃乱射事件は12人の生徒と1人の教師の命を奪った。銃を撃ち放った2人の男子生徒は、この日の朝、ボウリング場でボウリングをした後、登校して凶行に及び自殺した。この2人がゴシック・ロック系のパフォーマンス歌手であるマリリン・マンソンの歌を聴いていたことから事件との関連を取り沙汰された。ジャーナリストでもあるマイケル・ムーア監督は「マンソンだけ責めて、彼らが犯行直前にしていたボウリングを責めないのはおかしくないか」と疑問を抱く。こんな型破りな感性と精力的な行動力でキツイ風刺とブラックユーモアも込めてアメリカ銃社会を告発している。

大勢の人々に突撃インタビューし、企業や銃販売店などにアポなし取材を敢行。カナダへも出張取材。最後は全米ライフル協会会長であるチャールトン・ヘストン(『十戒』『ベン・ハー』『猿の惑星』などの名優)のビヴァリーヒルズの自宅を訪ねてインタビューするのだが、質問内容までが突撃、なのがチョット・・・。もしこの2人が真摯に対談できれば少しは光が見えてくるかも?? 

解決策などなくても、とにかく現状を伝えたい、という願いで制作されたのだろう。『ボウリング』の意味は、2人の少年が撃ち人を殺傷した銃の弾は、ボウリングの球をピンの代わりに人間に向かって投げたのと大して変わりないのではないか、今のアメリカ社会の現状では。と問いかけられているような気がした。

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2007年4月15日 (日)

1912年4月15日タイタニック号沈没「ジェームズ・キャメロンのタイタニックの秘密」(02年米)

1912年4月10日、イギリスのサザンプトン港からニューヨクに向けて出航した豪華客船・タイタニック号が4月14日23時40分、北大西洋上で氷山に衝突、2時間40分後の4月15日2時20分、沈没し、1500人以上の乗客乗員が犠牲になった。

この史上最悪の海難事故に、ジャック(レオナルド・ディカプリオ)とローズ(ケイト・ウィンスレット)の運命の恋を絡めた大ヒット映画『タイタニック』(’97)のジェームズ・キャメロン監督が沈没している実際のタイタニック号の撮影に挑んだドキュメント・フィルムです。探査船から潜水艇が静かに降りゆく、水深3650メートルの海底にタイタニック号の残骸が照明装置に照らし出され、神々しく浮かび上がる。最新鋭のカメラを搭載した2台の遠隔操作探査機が生き物のように動いてタイタニックの内部を撮影している。膨大な準備を経て、2001年8~9月にかけて行われた、この一大プロジェクトの成果はタイタニック号の衝撃をさらに深めてくれる。また、船のオーナーのイズメイや設計主任のアンドリュースなど、乗船していた人々の実像をも伝えて興味深い。最後まで音楽を奏で続け、感涙させてくれた楽師団も、ほんの少しだが紹介されているのも嬉しい。各分野のエキスパートたちの心に響くコメントもある。

命日には追悼の意味も込めているので、この日にこれはちょっと、と思うのですが『親指タイタニック』(’99)という人間の親指に、顔をCG合成したグロテスクにしてキュートな親指人間が演じる『タイタニック』のパロディー映画があり、妙に笑いのツボにはまってしまいました。30分弱の作品の中に皮肉とギャグ満載で、作者のスティーブン・オーデカーク&親指キャラクターさんに、してやられたり、と思いましたが、『タイタニック』ファンの中には怒る人もいるかと思います。キャメロン監督はどうなんだろう?

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2007年4月13日 (金)

1970年4月13日アポロ13号緊急事態発生「アポロ13」(95年米)

1970年4月11日、ヒューストン時間13時13分、ジム・ラベル(トム・ハンクス)、フレッド・ヘイズ(ビル・パクストン)、ジャック・スワイガート(ケビィン・ベーコン)の3人の宇宙飛行士を乗せたアポロ13号がケネディ宇宙センターから打ち上げられた。月までの行程6分の5まで飛行していた4月13日22時、指令船オデッセイで異常事態を知らせる警告灯が点灯。そのトラブルを乗り切ったと思われた時、轟音が響き船体に衝撃が!宇宙船の酸素の半分の消失と、燃料電池の破損により電力が作り出せない状態に陥ってしまった。アポロ13号の月面探査のミッションは一転、ヒューストン管制センターと宇宙の3人とが正に一丸となって3人の<地上への生還>を目指す。

管制センターの主任ジーン・クランツ(エド・ハリス)はハートの熱さとクールな判断力を備えた理想的な上司で、打ち上げ直前に風疹感染の可能性有とされ乗船を交代した飛行士ケン・マッケングリーン(ゲーリー・シニーズ)がセンターから乗員を必死でバックアップする様子は、この救出劇が人間の信頼関係の賜物であったことを伝えているのだろう。科学技術や個々の能力もさることながら、それ以上に、人間が協力することの勝利の讃歌だ。後にこの事故が「輝かしい失敗」と語り継がれるようになったこともうなずける。(アメリカってホント前向き、見習いたい)

4月17日、南太平洋上に3人の乗員、無事帰還。 結果がわかっていてもハラハラドキドキ見入ってしまい、3人の帰還に大感激し、臨場感ある実写的映像にも感動して、改めて映画の力を感じたホットでクールな感動大作です。

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2007年4月 9日 (月)

1927年4月9日サッコとバンゼッティに死刑宣告「死刑台のメロディ」(71年伊・仏)

アメリカ裁判史上最大の冤罪事件と言われるサッコ=バンゼッティ事件の映画化で、本当にこんなことが起こったのかと、胸が痛くなります。

1920年5月5日、靴職人のニコラ・サッコ(リカルド・クッチョーラ)と魚行商人のバルトロメオ・バンゼッティ(ジャン・マリア・ボロンテ)がマサチューセッツ州ブレントンの強盗殺人の容疑者として検挙された。二人は貧しいイタリア移民で無政府主義者(アナーキスト)、第一次大戦では良心的徴兵拒否をしていた。

当時アメリカでは共産主義に対するヒステリックなまでの弾圧運動が始まっていて、この二人はその生贄にされてしまった。裁判とは名ばかりの偽の証拠で固められ、検察官や裁判長までがあからさまに二人の思想を嫌悪している。そこに人種差別も相まって、最初から見せしめのための政治的結論ありきの裁判だったようだ。この裁判に対し全米各地やロンドンからも抗議運動が起こったが、1927年4月9日、裁判長は死刑を言い渡した。助命嘆願も退けられ、サッコとバンゼッティは電気椅子にかけられた。

ジョーン・バエズの曲が怒りを静かに持続させるかのように効果的に歌われている。映画の邦題はここから来ているのだろうが、ロマンチックすぎていただけない。(似たような題名も多数あるし)

死刑執行から50年後の1977年、マサチューセッツ州知事はこの裁判の誤りを認め、二人の無実を宣言、処刑された8月23日を「サッコとバンゼッティの日」に定めたそうだ。なんでもあり、といった感じのアメリカだが、こういう自浄能力に期待できる国だと思います。

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2007年4月 6日 (金)

1917年4月6日アメリカ、第一次大戦に参戦「エデンの東」(55年米)

おカリフォルニア州モントレー郊外の農場主トラスク家の兄アーロン(リチャード・タバロス)は優等生タイプで父アダム(レイモンド・マッセイ)のお気に入り。大胆さとナイーブさをあわせ持つ弟キャル(ジェームス・ディーン)は父に受け入れられずにいる。

父はレタスの冷凍保存輸送に失敗し大損害を被っていた。そこで、アメリカが戦争に参戦すれば豆の相場が高騰すると聞いたキャルは、家を出て娼館を経営している母(ジョー・バン・フリート)から借金をして豆に投資する。1917年4月6日、アメリカはドイツに宣戦布告。大金を得たキャルは父の誕生日にそのお金をプレゼントするが、やむなく徴兵委員の仕事をしていた父は、戦争で金儲けなどとんでもない、と激怒する。一方、兄アーロンは恋人のアブラ(ジュリー・ハリス)と婚約を報告、父を喜ばせる。意に反し、父との溝は深まるばかりのキャルは深く傷つく。キャルに同情を寄せるようになるアブラ。アーロンとキャルも憎み合うようになっていき・・・・・「戦争は人道に反する」と言っていたアーロンは志願兵となり現実から逃れるように故郷を後にした。純粋培養されたようなアーロンの方が本当はキャルより傷つきやすく、修復力が弱いのだった。

原作は旧約聖書のカインとアベルの物語を元としたジョン・スタインベックの壮大な小説で、人間の生きているこの地上はどこもかしこもエデンの東、という宗教的要素の濃いものなのでしょうが、映画はジェームズ・ディーンという貴重な俳優を得ての青春物語、と思うのは、宗教オンチのせいかもしれません。

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2007年4月 1日 (日)

4月1日エイプリルフールにドイル刑事フランス到着「フレンチ・コネクション2」(75年米)

フランス・アメリカ間の麻薬密売ルートの壊滅に挑む、ニューヨーク市警・麻薬課のドイル刑事(ジーン・ハックマン)が単身、マルセイユにやって来た。チームを組む地元警察のアンリ刑事(ベルナール・ブレッソン)が魚市場で必死にマグロを裂いている。中に麻薬が隠されているとのタレ込みがあったとのことだが、この日は4月1日、その情報はジョークだった。この時は笑っていたドイル刑事だったが、やはり困難を極める麻薬捜査。

舞台がニューヨークの前作で、追い詰めながらも逃がしてしまった犯罪紳士風の麻薬密売組織のドン、シャルニエ(フェルディナンド・レイ)を今回は異国の地マルセイユで追うドイル刑事だが、彼の部下に拉致されてしまう。監禁され麻薬を投与され続け麻薬中毒の状態で、マルセイユ警察に返された。壮絶な苦しみの末、禁断症状を脱し、ニューヨークへの麻薬密輸を阻止しようと不撓不屈の根性を発揮するドイル刑事。アウェイであることの不利さ不便さ、哀愁をもにじませて奮闘する彼は前作よりもステキです。

サンフランシスコ市警のハリー・キャラハン刑事(クリント・イーストウッド)が美女に言われていた言葉「お給料いくらか知らないけれど、とても割りに合わないわね」をこのドイル刑事にも捧げたい。

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2007年3月26日 (月)

1827年3月26日べートーヴェン逝く「不滅の恋 ベートーヴェン」(94年米)

1827年3月26日、ルードヴッヒ・ヴァン・ベートーヴェンが56歳で逝去。ウィーン挙げての葬儀が行われた後、ベートーヴェン(ゲイリー・オールドマン)の秘書であり遺言執行人に指名されていたシンドラー(ジェローン・クラッペ)が「全ての楽譜と財産の相続人は我が不滅の恋人ただ一人である」がベートーヴェン最後の遺書だとして、不滅の恋人なる女性を探す旅に出る。手がかりはベートーヴェンが書いた宛名のない熱烈なラブレター。

ベートーヴェンの偉大さを前に音楽家への道を断念したシンドラーにとって、その恋人探しはベートーヴェンの波乱に富んだ生涯をたどり、心を解き明かすための巡礼のように続けられる。

難聴のベートーヴェンがピアノの共鳴板に左耳を押し当て「月光」を弾いている姿は、まるでピアノを抱擁しているかのようで、“音楽こそ不滅の恋人、だって孤高の楽聖ベートーヴェンだもの” とクールなことを思ってしまった。

「第九交響曲」の演奏会が盛大に行われている中、完全に聴覚を失った晩年のベートーヴェンは空想の世界に浸っている。少年時代、横暴な父親から逃れ、夜の林の中の池~水面に満天の星が反射している~に身を浮かべている、神々しくも、いたいけなルードヴッヒ少年の姿は、第九を聴くだび甦るのであります。

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2007年3月20日 (火)

2033年3月20日ジョー天国到着予定日「天国から来たチャンピオン」(78年米)

アメリカン・フットボールの選手、ジョー・ペンドルトン(ウォーレン・ビーティ)が交通事故に遭遇。気がつくと彼はこの世とあの世の中間点である天国行きの駅にいて、天使長(ジェームズ・メイスン)とお迎え役が待っていた。ジョーが「間違ってここへ来た」と主張するので天国へ電話で問い合わせると「ジョー・ペンドルトンの到着予定は2033年3月20日です」との返答が。そこで彼を地上へ戻そうとしたが、すでに彼の肉体は灰になっていた。「無いものねだりが通らんのは地上もここも同じだよ」と、お気楽な天使長。ただし死亡直後で死亡確認される以前の体にならジョーを戻すことができるという。

こんな訳で、妻と秘書によって殺された大会社のオーナー、レオ・ファインワースの体に入り地上に生還したジョー。利益追求のみで他を省みなかったレオに代わり、会社運営にスポーツマンシップを適応、世のため人のためになる会社を目指す。そして、レオの会社と闘っていたベティ(ジュリー・クリスティ)との愛を意識したころ、レオの死体の使用期限切れが近づいて・・・

死んだ気でやる、を地でやってみせてくれる霊界ファンタジーは人間の持つ可能性と今ここにある幸せをも意識させてくれるのでした。

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2007年3月15日 (木)

BC.44年3月15日シーザー(カエサル)暗殺「ジュリアス・シーザー」(53年米)

大昔の出来事なのに日付けが特定されていることに感激です。映画自体は、古代ローマの史実を戯曲にしたシェークスピアの原作をそのまま映画に移行させたような、映画的トリックが全くなく退屈感が否めないのですが。

ローマの将軍兼政治家のジュリアス・シーザー(ルイス・カルホーン)が権力を持ちすぎたとして、穏健派たちが暗殺することを密議し、紀元前44年3月15日、元老院にて実行した。その刺客の中にシーザーが友だと思っていたブルータス(ジェームス・メイスン)もいたので「ブルータス、お前もか」と口をつくシーザー最期の台詞はあまりに有名。

シーザー暗殺直後、ブルータスはローマ市民の前で堂々と自分たちの行動の正当性を訴え、理解を得たかに思われたが、ここにシーザーの寵臣であった若きアントニウス(マーロン・ブランド)がシーザーの亡骸を抱えて登場、ブルータスを遥かに超える名演説を繰り広げたので、独裁阻止・共和制擁護を目指したはずのブルータスたちは謀反人にされてしまった。思い込みが強すぎ自滅してしまうタイプのブルータスも“シェークスピュアーな人々”の立派な一員です。かく言う自分も近いかも^^;

この後ローマにはアントニウスを含む三頭政治の時代がやって来ます。言葉の超達人シェークスピアが言葉の魔力を教示してくれています。

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2007年3月13日 (火)

1938年3月13日ドイツ、オーストリアを併合「サウンド・オブ・ミュージック」(65年米)

1938年3月13日、オーストリアは平和裏にドイツに併合されてしまった。ザルツブルクのゲオルク・フォン・トラップ大佐(クリストファー・プラマー)の元にもドイツ海軍から召集令状が届く。ナチス・ドイツの手先となることを断固として拒否した大佐は、家族で出場した音楽祭を利用して一家9人で国外脱出を決行、アルプスを越えることになる。映画はここで終わっているが、その後のトラップファミリーは亡命先のアメリカで幸せな家庭を再構築したことが本やドキュメント番組で紹介されている。

「神様が一つの扉を閉ざした時、どこかで一つ窓を開けておいてくださる。道はきっとどこかに通じる」という、修道院を出て家庭教師となるためトラップ家に向かうマリア(ジュリー・アンドリュース)が自分自身を励ますこの言葉は見事に結末につながっていて、まさに、Where there's a will, there's a way.(意志あるところ道は開ける)を実証してくれている。

ファミリーの逃亡を援護するためにあることをした二人の修道女が「罪を犯しました」、院長が「どんな罪です?」との、緊迫した中にユーモアが盛り込まれたシーンに至っては、なんとよくできた映画なんだ、と感嘆した。あんな罪なら犯してみたいものだ。物語に沿った音楽が名曲ぞろいなのは言うまでもなく、時々サウンドトラック全曲集を聴いてます。

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2007年3月12日 (月)

1955年3月12日チャーリー・パーカー逝く「バード」(88年米)

小鳥がさえずるような技法でアルトサックスを演奏することから「バード」の愛称で親しまれた天才黒人ジャズ奏者チャーリー・パーカー(フォレスト・ウィティカー)のこの伝記映画は、彼が自殺未遂を起こし病院へ運ばれる1954年9月1日から始まる。波乱万丈の物語が展開するのかと思えば、麻薬とアルコールで早めに人生を終わらせてしまったジャズの申し子、のようなスタンスで描かれていて、後の方からズシリときました。

デフォルメされたフレーズ、三連音符の多用、ユーモアのセンス、オフビートなどを特徴とするモダンジャズ「ビーバップ」をアフター・ジャム・セッションの中で仲間たちと確立したチャーリーは、「ビーバップは若者を堕落させる」とラジオ局から締め出されたりするが、時代が新しいものに追いつかない、ということはままあることで、尊敬されている立場でもあったし、活躍の場もあった。依存症の悪循環にはまってしまったチャーリーは、本人も周りの人々も妻(ダイアン・ベラーノ)さえも死を覚悟している。ディジー・ガレスピー(サミュエル・ライト)は「俺は改革者、お前は殉教者。人は殉教者を尊敬する。お前の過去は水に流しいつまでも讃える」とすごいことを言っている。

入院を拒んでいた彼は1955年3月12日現場の検視官によると「推定死因、心臓麻痺。推定年令65」、実際は34歳の生涯を終えた。この映画のチャーリーは自分の才能というものを全く自覚していなかったように思えるのだが・・・

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2007年3月10日 (土)

1913年3月10日カミーユ・クローデル精神病院に入院「カミーユ・クローデル」(88年仏)

彫刻家を志して勉強していたカミーユ・クローデル(イザベル・アジャーニ)は19歳の時、43歳のオーギュスト・ロダン(ジェラール・ドパルデュー)の生徒となり、その後、弟子にモデルに、そして愛人となり同棲するようになる。二人の間はカミーユがその才能を開花させていくにつれ、師弟関係から愛憎関係へと変遷してゆくのだった。

抜き差しならない関係にピリオドを打つべくロダンの元を去り、新しい作風を模索し始めるカミーユだったが、自分の作品が認められないのはロダンが裏で手を回しているからだと疑ったり、ロダンが自分のアイデアを盗みにやって来るという妄想に囚われたりしていく。ロダンの呪縛から解き放たれるべく創作に没頭すればするほど、ロダンに縛られてしまうカミーユの精神は瓦解していき、ついに、1913年3月10日、精神病院へ送られた。

「ブロンズの私小説」とも言われる、彼女が苦しみの中に遺した作品群には独特な穏やかさが感じられ、カミーユは苦悩や狂気すらも作品に昇華させてしまった芸術家なのだと思う。ただ、1943年10月19日78歳で世を去る30年もの間、病院を出ることなく、一つの作品を創ることもなかったということがあまりに悲しい。

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2007年2月27日 (火)

1933年2月27日ドイツ国会議事堂放火事件「地獄に堕ちた勇者ども」(69年伊)

ナチスが台頭していく中で実際に起こった事件に、ドイツの鉄鋼王エッセンベック一族崩壊の悲劇を絡めた、おぞましくも壮大な物語です。

一族の長ヨアヒム男爵の誕生祝いの最中、ベルリンの国会議事堂が炎上中との報告が届く。1933年2月27日に起きたこの放火事件は、ナチスの仕業とされながらもナチスが敵対者弾圧の口実にしたという事件で、公然と悪事がまかり通るほどにナチスの権力が増大したことを象徴している。実業家たちも生き残りを考えざるを得ない状況になっていた。男爵は「本意ではないが事業存続のためにナチスとの緊密な接触もやむなし」との考えを表明する。ここから一族の者たちは、それぞれの立場、それぞれの思惑によってそれぞれの道を行くことになる。

エッセンベック家に元々内在していた問題の表面化や、ナチスの親衛隊(SS)による突撃隊(SA)幹部の粛清シーンは、人間性を逸脱した人間たちの崩壊は人間レベルを超えた次元で美しい、とビスコンティ監督は言っているかのようです。こんな地獄絵を耽美的芸術的シーンにしてしまえるのはこのイタリアの巨匠をおいて他にはいないと思われます。

ドイツ版華麗なる一族はナチスの隆盛と共に崩壊していきますが、それはまた、ナチスの崩壊をも明示しているかのようです。

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2007年2月13日 (火)

1856(安政3年)年2月13日お蓮の日誌始まる「暗殺」(64年松竹)

司馬遼太郎の『燃えよ剣』で新選組にハマった。おかげで幕末史だけはちょっと明るい、つもり。

結果として新選組の基となる浪士隊の結成を幕府に建言し許された清河八郎。上洛する将軍様警護のため募集したはずの浪士隊。その真の目的は尊皇攘夷の先駆けとするためで、朝廷からもお許しをいただいてしまう。なんとも大胆不敵な尊攘派の策士で、案の定、暗殺されてしまった。1863(文久3)年4月13日、34歳だった。

激動の時代とはいえ理解しがたいと思っていた清河さんだが、追い詰められた彼が一発逆転を狙った策略だったということが理解できた。また、郷氏出身の彼は武士の身分ではないがために、志と才能を生かす場を探し求めた、という点においては、近藤さんや土方さんと変わりないのだった。この映画はまた、清河八郎(丹波哲郎)を中心とした幕末動乱史としても興味深く、新選組誕生前史にもなっている。そして篠田監督の映像美は殺伐とした世界の中にも神の視点を感じさせてくれる。                                                          

清河が妓楼から身請けしたお蓮(岩下志麻)は命を賭けて清河を守り抜いた。お蓮が拷問の縄を解かれて捕吏を見上げる時の表情は、どんなふうに役にアプローチしたら、こんな表情ができるのだろう、と思った。志麻さんの演技は私の心に効きます。幕末の好きな女性ナンバーワンは高杉晋作を支えたおのうさんと坂本龍馬の妻お龍さんを凌いでお蓮さんになった。お蓮のような女性に愛された清河さんは、もうそれだけでも、いい人なんだと思えた。彼も愛した女性はお蓮だけだった。.安政3年2月13日はお蓮が妓楼の女となり、運命の歯車が回り出した日。                                                                                                         

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2007年2月 2日 (金)

1980年2月2日ジョージとブロンティ書類上の結婚「グリーン・カード」(90年米)

アメリカに来たスランス人のジョージ(ジェラール・ドパルデュー)は仕事を持つために必要なグリーンカード(米国永住許可証)が欲しくて、ニューヨーカーのブロンティ(アンディ・マクダウェル)は夫婦でないと入居できないグリーンルーム(温室)付きの高級アパートに住むために、結婚証明書を手に入れた。その日付が1980年2月2日となっている。しかし、入国管理局はグリーンカード目的の不正に目を光らせている。係員がアパートを訪問し調査するというので、偽装結婚の理由以外、お互いのことを全く知らない二人は同居を始める。

貧しい人に奉仕する緑化ボランティアの活動にも熱心なブンロティは「植物は宝物」という女性。方やジョージは根無し草のような人生を送ってきた男。この合うはずもないような二人が、これまでとは違う価値観に触れて、混乱しながらも新しい人生観が展開していく。

ジョージの腕の入れ墨の由来についての話は彼の過去が凝縮・象徴されていて、それを率直に語るジョージと、それを受け止めるブロンティの心の変化のシーンがとても印象的。細部まできっちり創りあげるられていると、先の読める展開がかえって嬉しかったりする。入国管理局の質問もかなり細かいです。

フランスの名優ジェラール・ドパルデューはとても個性的な俳優なのに、どんな人物を演じてもハマルから不思議だ。

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2007年1月24日 (水)

1920年1月24日モジリアニ逝く「モンパルナスの灯」(58年仏)

パリのカフェでお客の似顔絵を描いても突き返されてしまうモジリアニ(ジェラール・フィリップ)。お金に困っても信念は捨てない画家だったが、それだけにまた、絶望感と酒量は増し、持病の結核と相まって体を蝕んでいった。

しかし、この画家は女性にモテモテで、映画の前半、ダメ男の恋愛もののようになってしまっている。モジリアニの絵画に対する思想も描いて欲しかった。事実、彼の絵にとって女性の存在は不可欠なのだが、これはちょっと気の毒・・・

1917年、モジリアニは運命の女性ともいうべきジャンヌ・エビュテルヌ(アヌーク・エーメ)と出会い同棲生活を始める。14歳年下のこの女性は献身的に画家を支える。その部分のみに焦点を当てるとジャンヌはパーフェクトと言える女性だったようだ。

画商のズボロフスキーも彼の才能を信じ、商売度外視の友情で彼を支えるありがたい存在だ。同じ画商であるモレノ(リノ・バンチュラ)も彼の才能を見抜いていたが、だからこそ死神のように彼に取り憑く。この悪の存在はフィクションのようだが、モジリアニの人生が“不遇の画家”という表現に収れんされていく、象徴的なクライマックスだ。

1920年1月24日、近い未来「エコール・ド・パリ」の巨星となるイタリア出身の画家アメディオ・モジリアニがパリの慈善病院のベッドで35年の生涯を閉じた。

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2007年1月18日 (木)

1960年1月18日フランク・モリス収監「アルカトラズからの脱出」(79年米)

サンフランシスコ沖わずか2キロに位置するアルカトラズ島。しかし潮流は速く、冷たく、泳いで渡ることは不可能とされる。そして全島むき出しの岩盤(ロック)より成る島。ここに凶悪犯や脱獄犯が集められ「刑務所の中の刑務所」と言われるアルカトラズ刑務所があった。自然の要塞に守られている上、強固な警備をも誇ることから「ザ・ロック」と呼ばれる刑務所。

1960年1月18日、大雨の降りしきる中、護送されて来たフランク・モリス(クリント・イーストウッド)は身体検査を受けた後、監房まで全裸で歩かされる。そこから脱獄までの課程をドキュメント風に描いて派手な見せ場はないが、静かな緊張感の見ごたえ充分な映画になっている。ドン・シーゲル監督とイーストウッドといえば『ダーティハリー』が有名だが、『アルカトラズ』ももっと評価されていいと思う。                                                  

フランクの鍛え抜かれた筋肉質な肉体は極悪人には見えなくて(実際そうではないらしい)、刑務所での所作(そんなものがあれば)を会得している人のようだ。寡黙で心優しく強く、頭脳明晰で器用。書類にも「IQ優良」と記されていた。アルカトラズに至るまでのフランク・モリスの理由あり人生をイーストウッド監督に撮って欲しい気がする。

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2007年1月17日 (水)

1950年1月17日ブリンクス強盗事件「ブリンクス」(78年米)

失敗も何のその、天下一の金庫破りを自称するトニー・ピーノ(ピーター・フォーク)は現金輸送車職員の仕事振りを見て、天の啓示(彼にとっての)を受けた。セールスマンに成りすましブリンクス金融警備会社を訪ね、会社経営のずさんさを確信する。本社の金庫を狙うべく会社の内情を徹底的に調査し、実行部隊を組織し、入念な計画の元、1950年1月17日夜、200万ドル以上の現金強奪に成功した。新聞は“史上最大の強盗事件”と伝えている(実話です)

仲間の一人スペッキー(ウォーレン・オーツ)は第二次大戦で破壊作戦班に所属していたことからトニーに見込まれた人物だが、帰還後の生活も恵まれたものとはほど遠い、というようなことや、トニーの生活コミュニティーの慎ましやかなものなどに比べ、有るところには有る大金がいい加減に管理されていることに対して、ドーナノヨ、と言っているように感じられるのですが・・・

刑事コロンボと金庫破りのトニー、頭の回転の良さ、同じです。

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2007年1月14日 (日)

1953年1月14日マニー・バレストレロ生涯忘れえぬ日「間違えられた男」(56年米)

ヒッチコック監督には珍しくドキュメンタりー・タッチで撮られている。正真正銘シリアスもののため、お約束の劇中ワンカット出演をやめ、オープニングで『これは真実に基づくドラマです』と語るに留めている。

この日、保険会社にお金を借りに行ったマニー(ヘンリー・フォンダ)は手配中の強盗犯ではないか、と警察に通報された。顔ばかりか筆跡まで似ている。嘘発見器にかけられ、投獄もされる。こんなことが善良な市民に突然降りかかる。“何もしていないのだから、そのうちわかってもらえるはず”ということは全然なくて、事態は悪い方へと進んでいく。“やっていないことの証明”は不可能で、彼の妻(ベラ・マイルズ)は精神に異常を来たしてしまう。

見えないものの力(警察権力も含め)によって、どんどん追い詰められていく人間の心理をきめ細かく描写し、ヒッチコックの正統的社会派の一面を見せるこの映画を”ヒッチ作品の裏ベスト”と言いたい。

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2007年1月 6日 (土)

1834年1月6日むさし屋の亀戸寮全焼「五辨の椿」(64年松竹)

むさし屋に婿入りした父(加藤嘉)は商売繁盛のため仕事一筋。母(左幸子)は不貞を重ね、父が死の床に就いても外で遊び惚けている。娘おしの(岩下志麻)は母と母と密通した男たちに復讐を遂げてゆく。

天保5年1月6日(映画には明示されていないが、山本周五郎の原作による)、家が燃え盛る炎を見つめるおしのの心に復讐の炎が燃え上がった。もう後戻りはできない。

父が好きだった山椿の花は『御定法では罰せられない罪』に対して罰を与えたという印。死を覚悟した行為であることの証。

父の生前、父を気遣い労わる本来の優しいおしの=志麻さんの美しく清清しいオーラにうっとり。そして、おしのが整然と復讐を実行してゆく時の情念のオーラとの間には、銀幕の大女優・岩下志麻という未来図が垣間見えるような気がします。と今だから何とでも言えるけれど、リアルタイムだったとしても、そう感じたと思う、たぶん。

おしのに同情を寄せる与力(加藤剛)の『今の御定法は70年も前に定められたもの。世間の成り立ちや暮らしぶり、人と人との関係など比較にならないほど複雑になっているはずです』との言葉に、いつの時代にも同じような問題があるのだなーと思った。上司の答えは『お上の批判は許されませんよ』とほぼ期待(?)どうりのものだった。

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2007年1月 5日 (金)

1900年1月5日未来から還り、そしてまた・・「タイム・マシン」(59年・米)

1899年の大晦日のロンドン、科学者のジョージ(ロッド・テイラー)は4人の友人を招待しタイムマシンを完成させたことを話した。マシンの模型(美形態!)で実験をし成功するが、友人たちは手品のトリックみたいなものだろうと信じない。そんな中でも彼のことを心配する心優しきデビッド(アラン・ヤング)は厭世観の強いジョージの心強い味方だ。

皆が帰宅した後、ジョージはタイムマシンに搭乗しタイムトラベルに出発する。トラベル中の情景などを表現する特殊撮影の手作り感はCGにはない趣で和みます。

1917年、1940年の2つの大戦の時代を経て、映画制作時には近未来である1966年を通って、行き着いた先はなんと802701年。理想郷かと思われたそこはとんでもない世界だった。このタイムトラベルを終えて我が家に戻ったのは1900年1月5日。5日前のメンバーにタイムトラベルの一部始終を語る。

『優れたSFは、未来のことを語っているようでいて、実は現代社会に警鐘を鳴らしている』と、確かスピルバーグ監督が言っていたが、この映画の原作者でSF小説の鬼才ハーバート・ジョージ・ウェルズ(1866~1946)の基本姿勢だったのだろう。

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2006年12月11日 (月)

12月11日マリオン逃亡「サイコ」(60年米)

アリゾナ州フェニックス、12月11日金曜日。マリオン(ジャネット・リー)は恋人サムとの昼下がりの逢瀬を終えて会社に戻ると、4万ドルを銀行に預けるよう頼まれる。そしてそのままお金を横領してサムの元に車を走らせた。

間もなくサングラスのパトロール警官に職務質問されるのだが、マリオンのドキドキが観る側のこちらに同化して、もうここですっかり彼女に感情移入してしまっている。ヒッチコック監督の術中にはまることの、なんと楽しいことよ。

夜になり、雨も激しくなって宿をとったベイツ・モーテルの対応に出てきたノーマン(アンソニー・パーキンズ)は次第に怪し気になっていき、怖さと期待が高まる途上で、映画史上有名なカット割のシャワールームでの惨劇が! なんと、本題はここから始まるという、いろいろな意味でびっくり仰天の不朽の名作。

この映画は私をヒッチコキアンへと導いた。

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2006年12月 5日 (火)

1791年12月5日モーツァルト逝く「アマデウス」(84年米)

精神病院で年老いた元宮廷作曲家のサリエリ(F・マーリー・エイブラハム)が神父に告白している話として、モーツァルト(トム・ハルス)と自分の関係について語られていく。

サリエリは敬虔で真面目に努力した自分より、軽薄なモーツァルトに才能を与えた神そのものが憎いのだ、と語る。神への復讐のため、神が愛したモーツァルトを殺したのだと告白する。時に恍惚とした状態で、いかに自分の魂を悪魔に売り渡し、天使の優しさをもって復讐を遂げたのかを回想している彼の様子は怖ろしくもあり、また、人間サリエリの苦悩の大きさもうかがい知れる。

1791年12月5日、ウォルフガング・アマデウス・モーツァルトが35歳の生涯を閉じた。死因については諸説あり、毒殺説もそのひとつ。

映画の演出なのか、当時の流儀なのか、モーツァルトの遺体が葬られる様があまりにショックだった。楽聖モーツァルトでないにしても、死の尊厳のかけらもない、穴に廃棄されるかのようなその情景があまりに悲しい。その時、霙が降りしきっていた。

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2006年12月 4日 (月)

1926年12月4日アガサ姿を隠す「アガサ・愛の失踪事件」(79年米)

1926年12月4日、推理作家アガサ・クリスティーの失踪事件が発生。サリー州のニューランズコーナーの沼地で彼女の車が発見され大捜索が行われた。

夫アーチボルト大佐(ティモシー・ダルトン)から「離婚してほしい。ミス・ニールと結婚する」と言われたアガサ(バネッサ・レットグレーブ)は2通の手紙を残し車で家を出た。11日後に温泉保養地ハロゲイトのオールド・スワンホテルで発見されるまでを事実に基づき、解明が試みられている。

次々に難事件を仕掛け、鮮やかに解いてみせたミステリーの女王は自分自身のミステリーは謎のまま封印し、最後のお楽しみを残した? しかし、ここにはスーパー作家のクリスティーではなく一人の生身の女性として彼女が身近に感じられる。

いち早くクりスティーを追跡、発見し記事を書いていた新聞記者(ダスティン・ホフマン)は彼女と心を通わせ、そこに特ダネ以上の価値を見出した。ゆえに事件の真相は明らかにされぬまま、ということになっている。

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2006年12月 1日 (金)

1943年12月1日達郎、入隊「風立ちぬ」(76年ホリ企画)

昭和17年(’42年)太平洋戦争が始まり半年、“僕らにはまだ「青春」と呼べるものがあった。” 軽井沢で愛を育んでいった達郎(三浦友和)と節子(山口百恵)。節子は結核を患っていたが、病魔が二人を裂く前に戦争が愛する者たちを裂いた。

戦争が長期化するなか、それまで徴兵を猶予されていた学生たちも駆り出されることになった。1943年10月21日、明治神宮外苑競技場で行われた出陣学徒の壮行会のニュースフィルムが映画に挿入され、時代の空気を伝えている。学びの途上にあった若者たちが否応なく戦争という大人の社会に取り込まれていったのだ。

サナトリウムで病気と闘う節子と別れ、1943年12月1日、達郎は松本の連隊に入隊し戦場に赴いた。

松平健が演じている、戦争に疑問を抱きつつも一早く入隊して行った小倉という達郎の友人が忘れがたい。

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2006年11月30日 (木)

11月30日家賃の取立て「七つの大罪」(52年仏)第1話

旧約聖書における“七つの大罪”のそれぞれの罪をテーマにした7つのオムニバス映画。第1話の『強欲』は11月30日のお話。

家主のアルバロが月末に家賃を徴収。クラリネット奏者のジェルミニだけが未払いで10月分も滞納していた。貧乏な彼は「毎朝、神に祈って奇跡を待っているので奇跡がおきたら払います」などと言うので、家主は怒って2ヶ月分の家賃1万5千リラを今夜中に支払わないと追い出すと通告。アルバロは妻に美容院代も渡さないほどのお金の亡者だ。

果たしてジェルミニの運命は・・・。奇跡は奇跡でも超常現象ではない、ありえる奇跡体験が小気味よいストーリーだ。

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2006年11月14日 (火)

1939年11月14日レナード入院「レナードの朝」(90年米)

1969年、ブロンクスのベインブリッジ病院にセイヤー医師(ロビン・ウィリアムズ)が赴任した。この病院は神経系の慢性患者専門で、発病の原因も不明、治療法もなく「ここは言わば“庭”です。食事と水をやるだけ」という状態を余儀なくされた患者が長期入院している。

セイヤー医師はそんな現状を打開しようと奮闘し、20年代に流行したという嗜眠性脳炎を糸口に治療法を模索する。そして、1939年11月14日、20歳の時に入院した患者レナード・ロウ(ロバート・デ・ニーロ)の母の同意を得て、パーキンソン病の新薬であるLドーパを彼に投与する。レナードは30年間にわたる半昏睡状態から“目覚めの朝”を迎えた。

オリバー・サックス医師の実話に基づいたこの物語は、「患者の心は生きている」という医師の信念と献身を再現し、過酷な運命の患者たちの魂が闇の中から呼び覚まされる様は生命の輝きを見せてくれる。

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2006年11月12日 (日)

1955年11月12日マーティ未来へ還る「バック・トゥ・ザ・フューチャー」(85年米)

ブラウン博士(クリストファー・ロイド)が30年の歳月と全財産をかけタイムマシンを完成させた。1985年10月26日、高校生の親友マーティ(マイケル・J・フォックス)立会いで、愛犬アインシュタインを乗せた実験が成功した矢先、テロリストの襲撃を受けるというアクシデントから、マーティが1955年11月5日にタイムスリップしてしまう。この日は博士がタイムマシンの心臓・次元転移装置の図面が頭に浮かんだ重要な日で、それがタイムスリップの目標日時に入力されていたのだった。

そこでマーティンは高校生の自分の両親に出会ってしまったので、さあ大変、歴史が変わってしまう!1週間で本来の姿に戻さなくては・・・。マーティの活躍でめでたしめでたし、となったが、次は自分が元の1985年に戻らなければならない。1955年11月12日午後10時4分、ここヒルバレーの時計台に落雷があったことがラッキーだった。

映画の楽しさを満喫させてくれる極上のエンターテイメント。伏線が巧みに張り巡らされているし、デティールが続編とも見事にリンクしている。そして、篤い友情で結ばれたマーティと博士の名コンビぶりが最高。

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2006年11月10日 (金)

1891年11月10日アルチュール・ランボー逝く「太陽と月に背いて」(96年英)

十代半ばから後半にかけて、好きな詩は暗誦したものです。そんな時代もあったのね。外国の詩はその訳者によって決定ずけられてしまう。ランボーの『サンサシオン』は絶対に金子光晴でなければいけない。なんとも心地よい詩です。でも作者ランボーについてはほとんど知らなかった。

詩才に恵まれた者同士のアルチュール・ランボー(レオナルド・ディカプリオ)とポール・ヴェルレーヌ(デビット・シューリス)は神秘的な天体現象、皆既日[月]食の時の太陽と月のような関係だった。という、ちょっとショッキングな映画です。「お互い助け合い、吸収し合ったら別れればいい」と密着したり離れたり、労わったり傷つけたりしています。二人ともフランスを代表するほどのすごい詩人だからして、心の中にどんな凄まじい嵐が吹き荒れていようと驚嘆することではないのでしょう。ランボーは1891年11月10日、37歳になったばかりで亡くなってしまったが、早熟だった彼は20歳ぐらいで書きたい詩を書き尽くしてしまったのかもしれません。

それにしても、この難しい役をレオナルド・ディカプリオが見事に演じています。『タイタニック』以前の彼を密かにあたためていたので、あの大ブレイクは残念な気がします。

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2006年10月30日 (月)

1964年10月30日サイモン、バットを振る「サイモン・バーチ」(98年・米)

ジョー・ウェントワース(ジョゼフ・マゼロ)は父親は知らないが、優しくて町一番の美人の母レベッカ(アシュレイ・ジャド)と親友のサイモン・バーチ(イアン・マイケル・スミス)がいる。サイモンは生まれた時から体がとても小さくて、医師から生きていること自体が「奇跡だ」と言われた少年。二人は何でも話し合える間柄だ。

サイモンは野球も大好きで、二人は少年野球のチームメートでもあるが、ハンディのあるサイモンはほとんど試合に出してもらえず、たまの出番には「バットを振るな」と指示されてしまう状態。ストライクゾーンが狭いからだ。ところが1964年10月30日の試合で代打のサイモンは監督に「バットを振れ」と言われ、思い切りバットを振った。その結果、大変なことが起こってしまった。

“サイモンのおかげで神の存在を知った”というジョーは大人になっても少年時代の友情の思い出を温め続けている。少年の友情ものプラスアルファー。感動のツボにはまりました。

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2006年10月26日 (木)

1881年10月26日OK牧場で決闘「OK牧場の決斗」(57年米)他

1881年10月26日、アリゾナ州トゥームストンのOK牧場でワイアット・アープ組VSクライトン組の決闘があった。アメリカ人はこの伝説の保安官がよほど好きらしく幾度となく映画に取り上げられている。

保安官のワープ側が正義でクライトン一家はならず者というのが大枠であることは事実なのだろうが、伝説はあった事を基としながらも、あったかもしれないこと、なかったかもしれないがあって欲しいことなども綯い交ぜになって創られていくのだろう。その点でワイアットをだだ一人の友人とし、病をおして決闘に加わったドク・ホリデーの方がより伝説化しているのかもしれない。

ドクは肺結核を患い歯科医(ドクの名の由来)を廃業し流れ者となり、職業はギャンブラーにして早撃ち名人。「おれは人と係わりたくない、気ままに生きたい。ただひとつの借りを返すためだ」とワイアットとの友情を保つ。このドク・ホリデーの“やせ我慢の美学”を感じることが「OK牧場の決闘」ものを観る一番の魅力だ。

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2006年10月22日 (日)

1962年10月22日キューバ危機「13デイズ」(00年米)

1962年10月16日、ケネディー大統領(ブルース・グリーンウッド)はソ連がキューバに核ミサイル基地を建設中との報告を受けた。映画は核戦争の危機に直面したその日から危機が回避されるまでの13日間を追体験していく。10月22日は大統領がテレビ会見してキューバを隔離する“海上封鎖”を発表した日で、世界が大きな危機にさらされていることを知らされた。

ミサイル基地を空撮する任務のパイロットに大統領特別補佐官ケネス・オドネル(ケヴィン・コスナー)が「絶対に撃墜されるな。山に衝突して死んでもいいから敵には撃たれるな」と言う。彼が撃たれれば、アメリカ軍部には報復という名分ができ、直ちに戦争になるからだという。このことを了解しているこのパイロットはすごい。感動的だ。

危機を回避することができ、映画は“・・・人類が作った問題は人類が解決できる。我々はこの小さな地球に住み・・・”という美しい言葉で締められているが、アメリカ側の視点だけでなく双方からの視点で問題を俯瞰できなければ、残念ながらこの言葉は単に希望でしかないと思う。

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2006年10月16日 (月)

1969年10月16日メッツ、初のワールドチャンピオンに「オーロラの彼方へ」(00年米)

196910月、ニューヨーク・メッツがワールドシリーズ進出決定。62年の球団創立以来、レギュラーシーズン最下位が定位置だったそうだからファンの喜びは推して知るべし。「ミラクル・メッツ」「アメージング・メッツ」と盛り上がっていた。そんな中、メッツの大ファンでもある勇敢な消防士フランク(デニス・クエイド)が殉職してしまう。妻と6歳の息子ジョンを残して。

30年後、ニューヨークの空にオーロラが輝いた夜、刑事になっていたジョン(ジム・カヴィーゼル)は殉死前の父と無線で交信する。息子の忠告に従い父は火災現場から生還し、それからも父子の交信が続く。未来の息子と交信していることに半信半疑の父を納得させる大きな要因がワールドシリーズの結果なのだ。シリーズ第5戦の10月16日、メッツは初出場にしてワールドチャンピオンに輝いた。

タイムマシン不要、父子の絆は時空を超える。しかしタイムスリップにはタイムパラドックスの問題がある。うまい話についてくる裏みたいなものだ。それを切り抜けようと二人は力を結集して挑み、ジョンも父のように頼もしい男になっていく。

斬新なタイムトラベルの中に家族の愛を描き、存分なサスペンスもあり、消防士と刑事の活躍も見せてくれれば、ニューヨク・クィーンズ地区の人情味も感じさせてくれる。そして野球ファンにも嬉しいアメージング・ムービーだ。

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2006年10月14日 (土)

10月14日エミリー・フレンチ殺害事件発生「情婦」(58年米)

大物敏腕弁護士ウィルフレッド卿(チャールズ・ロートン)が殺人事件の弁護を依頼された。依頼人は容疑者レナート(タイロン・パワー)の妻クリスチーネ(マレーネ・ディトリッヒ)。

レナートは資産家の未亡人エミリーの家を度々訪れていて、10月14日の事件当夜も彼が来ていたと家政婦は証言。クリスチーネは彼のアリバイを証言するが身内の証言は効力がなく、彼には動機があることも判明。レナートは圧倒的不利な立場に立たされている。さて、ウィルフレッド卿の活躍やいかに。

結末はこれぞ「ドンデン返し」と言えるものになっていて、法廷映画の大傑作だと思う。ビリー・ワイルダー監督が“観ていない人のために結末は話さないでください”とお願いしているだけのことはある。この映画で「一事不再理」の法律を知った(これはヒント)。ヒントと言えば、『情婦』という邦題、最初はヘンだと思ったが意外と深い暗示になっている。原題は『検察側の証人』で原作はアガサ・クリスティ。

ウィルフレット卿とお付の看護婦(エルザ・ランチェスター)とのやりとりは掛け合い漫才のようでとても楽しい。さすがシリアスもユーモアもお得意なワイルダー監督の職人芸だ。

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2006年10月11日 (水)

10月11日ニコラス誕生日「ゲーム」(97年米)

投資家のニコラス・ヴァン・オートン(マイケル・ダグラス)は大邸宅に一人で暮らす大金持ち。人付き合いは面倒なものと決めつけ、元妻が尋ねて来ても会おうともしない。そんな彼の元に疎遠になっていた弟(ショーン・ペン)が現れ、10月11日ニコラス48歳の誕生日に<ゲームへの招待状>が贈られる。「兄貴もたまには楽しめ」と。

“人生が一変するような素晴らしい体験ができるゲーム” “ゲームの目的を探ることが目的のゲーム” ゲームを主催する会社を訪れたニコラスはスリル満点、過激な人生ゲームを体験することになる。

二転三転する先の読めない展開。どこへ連れて行かれちゃうんだ?これをゲームと呼ぶか!前代未聞、驚きのバースデープレゼントだ。

恐怖体験に巻き込まれることの好きな(?)マイケル・ダグラス。またの必死な逃げを期待してます(*^_^*)

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2006年10月 7日 (土)

10月7日ミステリー記念日(エドガー・A・ポー命日)「恐怖の振子」(61年米)

かなり昔のことなのだが、エドガー・アラン・ポーの原作をマンガ化した「黒猫」と出合った時の衝撃が忘れられない。

怪奇小説の開祖ポー(江戸川乱歩が敬意を表しペンネームにしたほどだ)の作品は、クリエーターたちをインスパイアし続け、映画化されたものも多い。「早すぎた埋葬」と「穴と振子」の2作品を基にした『恐怖の振子』はストレートな怖さで迫ってくる。凝った仕掛けはなく、特撮もなく。

フランシス(ジョン・カー)が姉エリザベス(バーバラ・スティール)の死の真相を確かめるため、義兄のニコラス(ヴィンセント・プライス)の住む城を訪れる。エリザベスは昔の拷問室がある地下に埋葬されているという。ニコラスは妻の死を嘆いているがどこか怪しい・・・。この城にはおぞましい過去があり、今また同じようなことが繰り返されていたのだ。幽霊にも増して恐怖なのは自分本位で自己中心な人間の心、とポーは怪奇美の中でささやいている。

ポーの人生はなかなかにハードだったようで、お酒に逃げることが多くなり、それが元とみられ路上で倒れ、1849年10月7日、40歳で逝ってしまった。

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2006年10月 6日 (金)

1970年10月6日ビリー・ヘイズ逮捕「ミッドナイト・エクスプレス」(78年米)

“物語りは実話に基づく。始まりは1970年10月6日トルコ、イスタンブール” アメリカの青年ビリー・ヘイズ(ブラット・デイビス)が2キロのハシシュ(大麻)を持ち出そうとして空港で逮捕された。恋人との旅行先で入手、友人に売って金儲けしようと安易な気持で犯した罪の代償はとても重いものとなる。

暴力が日常化している監獄での異常な体験の連続をなんとか乗り切り、刑期の4年2ヶ月を目前に、その判決が破棄され再審にかけられるビリー。何で今さら!ここに法は存在しないのか?! 当時のアメリカと中東諸国との関係悪化という政治的状況の影響が大きいらしい。国家間の問題に巻き込まれてしまった個人になす術はない。

それでもビリーは家族や恋人に恵まれていてラッキーだった。二人の囚人仲間マックス(ジョン・ハート)とジミー(ランディ・クエイド)はどうなったのだろう・・・

「ミッドナイト・エクスプレス」とは「脱獄」の隠語。真夜中に素早く逃げる、というより、“ここには停まらない”という意味合いだ。「デッドマン・ウォーキング」といい「グリーンマイル」といい刑務所用語は意味深だ。

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2006年10月 4日 (水)

1957年10月4日初の人工衛星打ち上げ成功「遠い空の向こうに」(99年米)

史上初の人工衛星打ち上げ成功、という快挙は1957年10月4日、ソ連のスプートニク1号が成し遂げた。その空を見上げていたアメリカ・ウエストヴァージニア州の炭鉱町の高校生、ホーマー・ヒッカム(ジェイク・ギレンホール)はロケットを作る、と宣言。3人の友人を巻き込んで夢に向かって挑戦する。

彼らを支援し協力してくれる大人たちもいるのだが、炭坑夫一筋に生きてきたホーマーの父(クリス・クーパー)は頑固一徹、父子はことごとく対立してしまう。しかし、この厳格な父の存在が一面でホーマーの夢を支えてもいる。基本的にこういうお父さん、好きです。

多感な若き日に感動的な出来事に遭遇し、夢を抱き、それに向かって邁進したホーマーはNASAのエンジニアとなり、自伝『ロケットボーイズ』(映画の原作)を書いた。結果もさることながら、青春時代に夢を通じて体験した友情をはじめ多くの人間関係がとても輝いている。

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2006年9月30日 (土)

1955年9月30日ジミー自動車事故「青春よ永遠に ジェームス・ディーンのすべて」(75年英)

3本目の出演映画『ジャイアンツ』の撮影を終えて間もない1955年9月30日、新車のポルシェ・スパイダーでロサンジェルスからサリナス(奇しくも『エデンの東』の舞台)へ向かう途上、対向車と正面衝突、帰らぬ人となったジェームス・ディーン。この日から彼の伝説は始まった。

没後20年目の1975年に関係者の証言でドキュメンタリー映画が製作された。映画の共演者や知人が彼について語り、輪郭を浮き彫りにしているが、知れば知るほどこのスーパースターの真実はどこにあるのだろう、と思わせる。スピードに取りつかれていたのは現実逃避のひとつだったのだろうが・・・

『理由なき反抗』でプラトーを演じたサル・ミネオが語っている。“ジミーこそ若者文化の先駆者だ。彼が初めて若者に人格と地位を与えた。それまでは子供と大人しかおらず、中間の10代は急いで通過すべき時期だった” ティーンエイジャーを社会に認知させるという大きな功績は24歳の若い命と引き換えだったのだろうか。

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2006年9月23日 (土)

9月23日何やら事件が・・・「リトルショップ・オブ・ホラーズ」(86年米)

9月に入って23日目、今からさかのぼりそう遠くない過去に人類の存亡が危ぶまれる事件が発生した。その恐ろしい敵は誰もが予期せぬような意外な場所に姿を現したのだった”(テレビ放映の訳)の字幕で始まる、ミュージカル仕立ての『リトルショップ・オブ・ホラーズ』は言い表しがたい魅力を持った映画だ。

見かけはともかく心優しい花屋の店員シーモア(リック・モラニス)がハエトリグサの種類の鉢植植物をショウーウィンドーに置いたところ店が大繁盛。シーモアも有名人に。何の前触れもなく起こった皆既日食の時に現れたというこの不思議な植物はシーモアの血液を口から飲んで成長しパワーアップしてゆく。

殺人もあるのにコメディーとして成立していて、SFホラーでもあり、人情やロマンスも主題になっていてほのぼの感を残してくれる。そしてロックを歌って踊れもするこの植物キャラクターのオードリーⅡはインパクト大で、フィギュアがあったら欲しい。

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2006年9月21日 (木)

9月21日賢治祭(宮澤賢治命日)「銀河鉄道の夜」(85年朝日新聞社他)

ジョバンニとカンパネルラが銀河鉄道に乗って旅をするのは、親友の二人の間にズレが生じていた時だったので、この旅ができたことは、もうそれだけでも感激。今でも少年の友情もの成長ものが好きなのだが、その原点はここにある。

大好きな原作が映画化されたものを観るとがっかりすることがままあるのだが、登場人物が猫のますむらひろしのアニメによる、杉井ギサブロー監督のこの作品は賢治ワールドをよくぞ視覚化してくれた、と感謝し絶賛したくなる。

銀河ステーションを出発した銀河鉄道は間もなく天の野原にさしかかるが、そこはススキが次にはリンドウがあたり一面をおおっている。この季節にぴったりなのは偶然とは思えない。また、タイタニック号の事故が出てくるのも(これがそうだったのかと)びっくり。

珠玉の童話や詩を遺して宮澤賢治は1933(昭和8)年9月21日37歳で銀河の彼方に旅立った。銀河鉄道には妹のトシが迎えに来ていたかもしれない。

9年前に賢治ゆかりの地を訪ねた折、花巻市桜町にある「雨ニモマケズ」の詩碑の建つ場所で賢治の命日に賢治祭が開催されていることを知った。いつか賢治祭に参加できることを願いつつ・・・。

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2006年9月16日 (土)

1977年9月16日マリア・カラス逝く「永遠のマリア・カラス」(02年伊・仏、他)

オペラ歌手の命である声が衰え、愛していたオナシスも死んでしまった。53歳のマリア・カラス(ファニー・アルダン)はパリの自宅に引きこもっていたが、音楽プロデューサーのラリー(ジェレミー・アイアンズ)の説得で、現在の演技に全盛期のレコードをかぶせ『カルメン』の映画を撮ることに同意する。この仕事で精力を取り戻し、次は『トスカ』を現在の自分の声で歌いトスカ像を見直したいと望み、ラリーは同意するが出資者たちはあえなく却下。

成功した人物が年をとり、その栄光が失われてゆくことの苦悩は計り知れないものがあるが、万人、皆年をとる。年と共に失われるものはあるけれど、得るものだって確かにある。ということをひっそり教えてくれている。

この映画はフィクションの形式だが、晩年のマリア・カラスの苦悩と誇りを伝えていると思う。ラストシーンのマリアとラリーの会話が印象深い。

1977年9月16日、この偉大な歌姫は自宅で倒れ、そのまま息を引き取った。享年53。

今日、マリア・カラスのCDを聴いた。本当に『歌に生き、恋に生き』(トスカのアリア)た人なのだとしみじみ思った。映像も観たくなった。

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2006年9月12日 (火)

1927年9月12日オスカル3歳の誕生日「ブリキの太鼓」(79年西独・仏)

オスカル(ダービット・ベネント)はこの世に生まれることを拒否しようとしたが、母が、3歳になったらブリキの太鼓をあげる、と言っているのを聞き、胎内に戻ることをやめた。かくしてオスカルは1927年9月12日の3歳の誕生日にブリキの太鼓をもらう。そして、この日の大人たちの世界を観察して、これ以上1センチも成長しないと決め、わざと階段から落ちた。それと共に、叫び声を上げるとガラスが砕ける超能力が備わった。

それは、複雑な歴史を有する因縁の地、ポーランドのダンツィヒ(現グダニスク)に生きるオスカルの防衛手段だったのか? かくして、ただならぬ超反戦映画が生まれた。

オスカルの父はナチスの党員になり党の集会に参加する。演壇の下に隠れているオスカルが太鼓を叩いて、音楽隊が演奏している行進曲をワルツに変えてしまう。すると参加者たちが手を取って踊り出す。ヒトラーは「我々の願いはベルサイユ条約前のドイツ帝国に戻ることだ」と思い込んでいるが、ここに集った人々さえも、本当は自由にワルツを踊ること、隣人と手を取り合えることの方を願っていたのだ。

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2006年9月 9日 (土)

1901年9月9日ロートレック逝く「葡萄酒色の人生ロートレック」(98年仏西)

先祖は第一回十字軍に参加したというトゥールーズ伯爵家の嫡男に生まれたアンリ・ド・トゥールーズ・ロートレック。少年時代の骨折により脚の成長が止まってしまう。骨が脆い体質は貴族同士の近親結婚が重なったための先天的なものらしい。

アンリの絵の才能と勇気は体の不自由さを補えるものであったのに、彼の家系(父親)は伯爵家の貴族としての後継者を望む。

アンリは故郷アルビを出てパリで絵を学び、ムーラン・ルージュのポスターで大成功するが、仕事場でもある歓楽街に入り浸り酒をあおる。自分の居場所を得たものの性病に感染しアルコールに侵され、精神状態も不安定なものになってゆく。

「ゴッホ、ラファエル、ヴァトーは37歳で死んだ。僕はもう少し時間がある」と言う彼だったが1901年9月9日、36歳で旅立った。様々なプレッシャーから逃れるためアルコールに依存し命を削ったが、きれいごとだけではない真実を捉え新しい芸術を創造したロートレックは世紀末のパリと相思相愛だった。

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2006年9月 3日 (日)

1939年9月3日英仏が独に宣戦「哀愁」(40年米)

イギリス軍のロイ・クローニン大佐(ロバート・テーラー)は霧に濡れたウォータールー橋の上で回想する・・・前の大戦中に出逢ったバレリーナのマイラ(ビビアン・リー)のことを。

二人は結婚の約束をしたがロイに出動命令が下り戦地に赴いた。間もなく新聞が彼の戦死を報じる。戦時下でバレエ団を解雇されていたマイラは夜の女に身をやつすが新聞は誤報だったのだ。彼はロンドンに戻って来たが、戦時下の混乱は永遠に二人を引き裂いた。(書き過ぎ御免。「君の名は」の元ネタになっているほどの古典なので)

25年の歳月が流れ、若かったロイも初老の男となっているがマイラの思い出のお守りをまだ大切に持っている。歳月に風化されることなく二人の愛は生きている。それはロイにとって時には勇気となり、時には重荷でもあっただろうことが察せられる。

再びドイツとの戦争が始まった1939年9月3日、ウォータールー橋のこの英国将校のトレンチコート姿は正に哀愁に満ちていた。

「蛍の光」は日本の卒業式の曲ではなかったのだと、この映画で知ったような気がする。

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2006年8月29日 (火)

8月29日クリストフォル最初の調査報告「フォロー・ミー」(72年米英)

会計士のチャールズ(マイケル・ジェイストン)は妻ベリンダ(ミア・ファロー)の外出を浮気のせいだと疑い、私立探偵を雇った。

ロンドン市内を一人で散策するベリンダ。彼女を尾行する探偵クリストフォル(トポル)は彼女の気持に気づき姿を現す。言葉を交わさないまま、彼女もその風変わりな人物の存在を楽しむようになっていった。ベリンダの求めているものは大それたことなんかではない、と夫に教えるクリストフォルは自称<夫婦仲を取り持った世界初の探偵>

チャールズとベリンダは自分にないものに魅かれ合い結婚するが、彼女は埋められない溝を感じていたのだった。恋人時代には新鮮だったけれど生活を共にするうち障害になってしまうもの・・・それをあきらめてしまう前に何かできることがあるかもしれない。と、そんな希望を持たせてくれる映画なのだ。

ロンドンの名所案内も楽しく、ミア・ファローの不思議な魅力も堪能でき、「屋根の上のバイオリン弾き」の父さん役のトポルもいい味出してる。主題曲も素敵。

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2006年8月22日 (火)

1972年8月22日銀行強盗事件「狼たちの午後」(75年米)

閉店直前のブルックリンの銀行に3人の強盗が押し入った。うち一人は早々に逃走するは、現金は本社に輸送済みでわずかしか残されていないは、のっけからちぐはぐな強盗なのだが、実際に起こった事件なのだそうだ。

たちまち警官隊に包囲されソニー(アル・パチーノ)とサル(ジョン・カザルス)は行員を人質に立てこもる。マスコミの報道合戦に野次馬も群がり事件は注目の的に。ソニーの犯行動機は同性愛相手の性転換手術費用のためだという。

テレビに映し出されスター気取りのソニーは警察署長に次々と要求を出すが、事件はこの夜(8月22日)のうちに解決をみる。

ショーアップ化し過熱する事件報道と大衆の反応の方が怖くもある犯罪映画だ。

犯罪者でありながら、どこか憎めない男ソニーにアル・パチーノが成りきっている。犯罪者役も刑事役を演ってもうまい!

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2006年7月29日 (土)

1890年7月29日ゴッホ逝く「炎の人ゴッホ」(56年米)

伝道師として炭鉱地帯に赴任していたゴッホは献身的に貧しい人々に尽くし、偽善を嫌う人だった。少しいい加減なところがあればもう少し楽に生きられたのに、と思う。

絵を描く喜びに目覚めたゴッホは絵画を追求することがイコール生きることのようになっていったので、人生そのものが研ぎ澄まされ、ますます自分を追い込んでいってしまう。純粋すぎて悲しい。

1890年7月27日、張り詰めすぎた精神は限界に達しピストル自殺を図る。弾は急所をはずれ、最愛の弟テオの到着を待っていたかのように29日 息を引き取った。たった37歳で。ゴッホの場合、自殺という名の自然死なのかもしれない。

自分の絵は多くの人々に感動を与えていることを、莫大な値が付き評価されていることを、天国のゴッホが知っていてほしい。せめてそのくらいは。

この映画でゴッホを演じたカーク・ダグラス、アカデミー主演男優賞をあげたかった。

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2006年7月26日 (水)

7月26日幽霊の日「忠臣蔵外伝 四谷怪談」(94年松竹)

1825(文政8)年7月26日、江戸中村座で「東海道四谷怪談」が初上演された。

この深作欣二作品は「忠臣蔵」と「四谷怪談」を合体させた鶴屋南北の原作にのっとっている。

赤穂浪士たちは主君の仇を討つ機会をうかがいながら苦しい生活に耐えている。その中の一人、民谷伊右衛門(佐藤浩市*大ファンです)は湯女のお岩(高岡早紀)と暮らしているが、敵方の吉良家の重臣伊藤家の娘に惚れられて祝言を挙げてしまう。そしてお岩は伊藤家の陰謀で毒薬を飲まされ醜悪な容貌に。憤死したお岩はその上、不義密通の女に仕立てられる。

吉良家の家臣という地位に惑わされて義を捨て、お岩の愛をも裏切る伊右衛門だが悪漢というより時勢に流される哀れな男なのだ。

酷い仕打ちを受けたお岩は怨霊となっても不思議ではないのに、討ち入りの日の大雪の中、敵討ちに加われなかった伊右衛門を待っていてくれる。環境が違っていたらこの二人はいい夫婦であったのでは・・・。霊界は愛憎を超越する世界なのかもしれない。

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2006年7月24日 (月)

1830.7.24ヴィドックの死亡記事掲載「ヴィドック」(01年仏)

名うての犯罪者が改心し警視庁で大活躍するも解雇され私立探偵に転身したという実在の人物ウジェーヌ・フランソワ・ヴィドックをモデルにしたミステリー。

警視総監の依頼を受け殺人鬼を追っていたヴィドック(ジェラール・ドパルデュー)。 1830年7月24日の新聞紙上に「ヴィドック死亡」が大々的に報じられた。[映画の事件は創作]    ヴィドックの伝記を完成させることに意欲を燃やすエチエンヌ(ギョーム・カネ)が彼の死の謎を突き止めようと捜査に乗り出す。

観客はエチエンヌと共にヴィドックの捜査の後をたどってダークな世界の渦に巻き込まれてゆく。事件の展開もさることながら、デジタルハイビジョンカメラで撮影されたという斬新な映像が異空間を夢中遊泳した、という感覚にさせてくれる。

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2006年7月23日 (日)

7月23日文月ふみの日「フォーエバー・フレンズ」(88年米)

偶然に出会った11歳の女の子たち。歌手志望でオーデションを受けているC.C.ブルーム(のちベット・ミドラー)と海辺のホテルに滞在中のお嬢様ヒラリー(のちバーバラ・ハーシー)が束の間の親交を持った後、ヒラリーが「手紙ちょうだいね」と言い、CCが「もちろん。友達だもの」と言って別れた。そこから文通が続き友情が育まれてゆく。歩む道も考え方も違う二人は時には反発し合いながらもかけがえのない存在になっていった。

この二人の関係に感動しつつ自らを省みると・・・友情に関して無頓着になっている、ご無沙汰続きでも許してもらえると信じている、というのが現状だ。気持ちはあるのに手紙を書くというような生活のリズムを失っている。言い訳はやめて、こんな自分を戒めて、今度こそ手紙を認めよう。

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2006年7月17日 (月)

1941年7月17日ディマジオの連続試合安打ストップ「さらば愛しき女よ」(75年米)

元祖タフで優しい私立探偵フィリップ・マーロウ。決して特別な人間ではなく哀愁さえ漂っている。かなりのお疲れモードで「唯一の楽しみはディマジオの活躍だ」と独白している。

マーロウ(ロバート・ミッチャム)はロサンゼルスの街角で刑務所帰りの男から恋人の捜索依頼を受け、行方を追ってゆくうちに次々と怪しげな人物が現れて事件の渦中に巻き込まれていく。そんな折、ヤンキースのジョー・ディマジオの連続試合安打が全米の注目するところとなっていた。

マーロウは命からがら友人の家に逃げ込んだ時も開口一番「ディマジオは?」 友人即座に「やったよ!」 ディマジオの新記録樹立を確認し気力体力を取り戻した。

マーロウの活躍で事件は解決したがそれはやる瀬ない結末だ。徹夜明けのマーロウはゲームセンターに落ちていた新聞でディマジオの記録が止まったことを知る。1941年5月15日から始まったディマジオの連続試合安打は7月17日インディアンズ戦でストップ、前試合までの56連続試合安打がメジャー記録に刻印された。

ジョー・ディマジオもフィリップ・マーロウも永久不滅だ。

現在活躍中のマーロウの後継者ではロバート・B・パーカー描くボストンの探偵スペンサーが好きだ。こちらは正真正銘レッドソックス・ファン。映画化されないだろうか。

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2006年7月16日 (日)

2004年7月16日性同一性障害特例法施行「ボーイズ・ドント・クライ」(99年米)

ティーナ(ヒラリー・スワンク)は女性に生まれ男として生きラナ(クロエ・セヴィーニ)という女性を愛する。ラナは恋人が性同一性障害であることを知っても彼を愛し続けるが、母親はラナが洗脳されていると決めつけ、母親の恋人とその仲間たちはティーナを執拗に痛めつけ踏みにじっていく。

2004年7月16日、日本でも戸籍上の性別変更が認められる法律が施行された。今のところ変更条件はかなり厳しいようだが。

実在の人物ティーナ・ブラントンをモデルにした「ボーイズ・ドント・クライ」の衝撃は大きく、心に響いていた映画だったので、この法律を知った時は単純に良かったと思ったが、やはりそんな単純なものではない。社会の壁という人工的な第二の障害を無くしてゆくのは法律の外の問題だ。

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2006年7月14日 (金)

7月14日フランス革命記念日「パリで一緒に」(63年米)

キュートなタイピスト(オードリー・ヘプバーン)に創作意欲を呼び覚まされたシナリオライター(ウィリアム・ホールデン)が2日間で映画脚本を完成させて7月14日の革命記念日のお祭りに二人で繰り出そうと奮闘する。

脚本の内容と現実が交錯し、虚実の境が曖昧なものとなって進行してゆき、ホールデンが三役をヘプバーンが二役を演じている上品なドタバタロマンティックコメディ。

映画作りの楽しさや産みの苦しみ、自戒や自虐まであって映画界の醍醐味(内幕)を垣間見せてもくれる。

脚本の中では革命記念日にエッフェル塔を会場に仮装パーティが開催され、参加者がチャップリンやマルクス兄弟、古典的物語の登場人物に扮している。またマレーネ・ディートリヒのカメオ出演、二人の名優の実物映画のパロディも盛り込まれ、映画ファンへのサービス満点。

オードリーは元祖ラブコメの女王でもあり、映画界のミューズでもあったのだ。

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2006年7月13日 (木)

7月13日フランス革命記念日前夜祭「巴里祭」(33年仏)

7月13日のパリの下町は革命記念日の準備で活気づき、日が暮れて広場では子供からお年寄りまでダンスを楽しんでいる。

タクシー運転手のジャン(ジョルジュ・リゴワ)と花売り娘のアンナ(アナベラ)も仕事を終えダンス会場へ。この夜のにわか雨と雷鳴が二人の仲を近づける。革命記念日デートの約束をしてウキウキとアパートに戻るジャン。だがそこに別れた恋人が来ていたことから二人の仲はこじれてしまう。

詮索好きのおばさんコンビ、ドジな二人組のスリ、酔っ払いのお金持ちなど楽しい脇役たちが物語を盛り立て、ジャンとアンナが愛を確かめ合うまでを情緒豊かに描いている。サイレントの名残のムードも味わい深く、歳月を超えて生きている映画にはそれ相応の価値がある。

仏革命記念日を「パリ祭」というのはこの映画の邦題(原題「7月14日」)により定着した名前だそうだ。この頃の洋画の邦題は感心させられるものが多い。

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2006年7月 6日 (木)

1942年7月6日アンネ・フランク隠れ家に移る「アンネの日記」(59年米)

フランク一家はユダヤ人迫害を逃れるためドイツ・フランクフルトからオランダ・アムステルダムに移住していた。しかしナチの魔の手はオランダにも迫り、1942年7月6日かねてから準備していた隠れ家に引越し潜伏生活を余儀なくされる。

アンネはこの年の6月12日、13歳の誕生日プレゼントに日記帳をもらい日記を書き続けた。彼女にとって書き記すということが大きな力となっていたことが感じられる。

命の危険にさらされ自由を奪われた暮らしの中でも明るさを失うことなく、むしろ前向きで「人の心は美しいもの」と信じていたアンネ。

1944年6月6日、ノルマンディー上陸作戦成功のニュースが伝えられ喜びに湧いたのも束の間、8月4日、ゲシュタポが隠れ家に乗り込み強制収容所に送られる。父オットーは「2年間恐怖に生きた。今度は希望に生きよう」と言うのだが・・・。

アンネは「アンネの日記」の中に永久に生き続けているけれど、もしアンネが生還できていたならば、その鋭い感性と優れた洞察力で彼女の望みどおりジャーナリストや作家として活躍していたに違いない。

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2006年7月 4日 (火)

7月4日アメリカ独立記念日「ジョーズ」(75年米)

言わずと知れたサメが人間を襲うパニック映画の傑作で、巧妙な演出で存分に恐怖心を煽ってくれるのだが、人間の心の怖さもちゃんと見せてくれている。

7月4日はアメリカ独立記念日。この日はアミティに遠方からも海水浴客がやって来る書き入れ時だ。そんな日を前にしてサメの仕業と目される遺体が海岸に打ち上げられた。

アミティ市長はサメによる死亡との報告書まで書き直させ、遊泳禁止を主張する新任の警察署長(ロイ・シャイダー)を押し切って、サメ被害を隠しアミティ海岸への集客を最優先させる。

案の定、次の犠牲者が。息子を失った喪服姿の母親が「危険を承知で何の対策もとらなかった。息子は落とさなくてもいい命を落とした」と訴える。

特に決定権を持つような立場の人はよく心に留めてほしい、と思わずにいられない。

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2006年7月 3日 (月)

1883年7月3日フランツ・カフカ誕生「KAFKA迷宮の悪夢」(91年米)

1883年7月3日、現代実存主義文学の先駆者とされるフランツ・カフカがチェコの首都プラハ(当時オーストリア帝国領ボヘミア)に生まれている。

この映画はカフカを主人公にした架空の物語であるが、彼の人生が巧みに織り込まれ、カフカ文学のエッセンスが散りばめられている。

友人の死の謎を追っていくうちにカフカ(ジェレミー・アイアンズ * 大ファンです)はおぞましい世界に自ら入ってゆくことになるが、グレゴール・ザムザが巨大な毒虫に変身してもアタフタすることなく日常生活の延長のごとく受けとめていたように、カフカもまた冷静に毅然と迷宮へ入っていく。それはもしかすると、カフカにとってプラハの街自体が迷宮で彼を取り巻く社会そのものが悪夢であったからなのではないだろうか・・・

このカフカは上司から神経質すぎるとか社交性に問題があるとか言われているが、とても勇敢でユーモアやちょっとオトボケなところもある。きっと本物のカフカも多面性に富んだ魅力的な人物だったのだろう。

1924年6月3日、結核のため入院していたウィーン郊外のサナトリウムで生涯を閉じる前はごく一部の作品しか公表されていなかったそうだ。

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2006年7月 1日 (土)

1997年7月1日香港が中国に返還「阿片戦争」(97年中国)

1840~42年の阿片戦争後の南京条約によりイギリス領となった香港が1997年7月1、155年ぶりに中国に返還された。阿片戦争の顛末を描くこの歴史大作は、いかにして香港がイギリス領となったのかを物語る。

1838年、林則徐が道光皇帝より特命全権大使に任命されイギリスからの密輸アヘンの取り締まりに乗り出す。すでに、アヘンに体を蝕まれた庶民や賄賂で私服を肥やす役人などがはびこっている。イギリスの情報収集能力の圧倒的優位さにも気付かされる。

1839年、虎門の人工池で千トン以上のアヘンを処分すると翌年イギリスは中国派兵を決議、戦争へ突入する。

暗い画面で撮影され重いトーンの中に挿入されるイギリス本国の場面があまりに明るく、その対比が中国の悲劇を際立たせているように思う。

ちなみに香港は「最適な位置、良い気候、水深も深く理想的。極東で最も条件のいい港」ということだ。

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2006年6月27日 (火)

1912年6月27日にタイムスリップ「ある日どこかで」(80年米)

時は1972年、老女が懐中時計を劇作家のリチャード(クリストファー・リーヴ)の手に握らせ「私のところに帰ってきて」とささやいて去ってゆく。

それから8年後、リチャードはグランドホテルの展示室にある写真の美しい女性にただならぬものを感じ調べていくと、 その人物が懐中時計の女性であることが判明。そして念力による自己催眠で1912年6月27日のグランドホテルにタイムスリップすることに成功その女性(ジェーン・シーモア)と出逢う。

「死が二人を分かつまで」という言葉があるが、これは「死が二人を結ぶまで」の時空を超越した愛の物語。リチャードの精神力には感嘆、二人の運命力(?)には感涙。

1910年の幼少時代からグランドホテルにいて1980年の現在も現役ホテルマンのアーサーとリチャードの関係も温かい。

ジョン・バリーのオリジナル曲も心地よく、ラフマニノフのラブソディーはクラシック曲と映画の素敵な融合だ。

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