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2007年5月19日 (土)

1935年5月19日T.E.ロレンス逝く「アラビアのロレンス」(62年英/89年完全版)

トマス・エドーワード・ロレンスが1935年5月13日のオートバイ事故により5月19日、47歳の生涯を閉じた。「偉大な人物」「自己宣伝家」と葬儀参列者の評価は様々だ。考古学者であり、外国語や文学など幅広い教養を身につけた後、軍人になったロレンスは最初から異端児的存在だったようだ。

第一次世界大戦の最中、ロレンス中尉(ピーター・オトゥール)はアラブの動向を探る英国陸軍の情報部員としてヨルダン南部の砂漠地帯に赴く。そして彼は一軍人としての枠を超え、ドイツが支援するトルコ軍の侵略に抵抗するアラブ反乱軍の指揮を執るようになる。当初から<アラブ独立>の思いを持っていたロレンスはその熱意と実行力でアラブ民族の信頼を得て、アラブの民族衣装に身を包み、神がかり的な快進撃を続けた。アメリカ人ジャーナリストの取材記事にもより<砂漠の英雄>に祭り上げられ、本人もその気になってゆく。しかしそれは、トルコに代わりアラブの地の利権を狙うイギリス(フランスとトルコ・アラビアを分譲する条約を交わしている)にとっては不都合なことだった。イギリスの思惑はアラブ側からロレンスに対しても不審をかうことになる。

負傷した味方を敵方の捕虜にさせないため殺さなければならないアラブの掟に従った殺人。トルコ軍に捕らえら拷問された苦い体験と、その反動でトルコ軍に残虐な仕返しをしたロレンス。自分はイギリス軍人でもなくアラブ人にもなれない、というアイディンティティの喪失感。部族ごとの結束が固く団結しないアラブの民。数々の問題をはらみ、彼はついに自己矛盾を抱えきれなくなるのだった。

闘争の歴史の歯車に飲み込まれていったロレンス。ジャーナリストに「砂漠の魅力は?」と問われ「清潔(クリーン)なこと」と答えたロレンス。人間の心もそうであれ、と願ったに違いない。この映画は砂漠の美しさと恐ろしさをも見事に写し出している。

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