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2007年4月25日 (水)

1868年4月25日新選組局長近藤勇処刑「新選組」(70年三船プロ)

試衛館道場で剣を学びし若者たち、上洛する将軍様をお守りするぞ、と燃える思いを胸に、1863年春、京に到着。いきなり擦った揉んだがあったものの、京都守護職会津中将松平肥後守様御預り・新選組となり、京の町の治安維持に勤めた(=「壬生狼」と蔑まれつつも、倒幕を画策していそうな不逞の輩を叩き斬った)

青雲の志とか、揺るぎない信念とか、友情の固い絆とか、損得勘定のない義理堅さとか、一途さゆえの無謀さとか・・・「幕末動乱期に咲いた徒花」と言われる要素の新選組に惹かれる者にとっては、この三船プロダクションによる三船敏郎のかっこよさ満開で制作された『新選組』の近藤勇は出来すぎていて聖人君子ぽくって、ファンにはなれないけれど、人間的な泥臭い部分をろ過していったらこんな風になるのかな、と思った。 2時間の中によくもこれほど、と思えるぐらい新選組の主なエピソード(見せ場)が盛り込まれている。(この映画では芹沢鴨を演じる三國連太郎さんがいいです)

短い間ではあったが「武士になる夢」を実現させた近藤勇は、明らかに負け戦である戊辰戦争で甲陽鎮撫隊を率いての出兵を命じられ、武士の義を、己の誠を貫いた。「新選組局長としてのとるべき責任」だとして、逆賊の汚名を着たままの斬首刑(切腹は許されず)を受け入れた。1868(慶応4)年4月25日、板橋にて公開処刑、享年35。武士以上に武士らしい最期だった。

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2007年4月23日 (月)

4月23日シェークスピア1564年誕生、1616年逝去「恋におちたシェークスピア」(98年米)

1593年ロンドン。ウィリアム・シェークスピア(ジョゼフ・ファインズ)は芝居小屋・ローズ座の屋主の依頼で、喜劇『ロミオと海賊娘のエセル』を執筆中だが、スランプに陥っている。精神分析に通い「言葉で愛を紡ぐ才能が枯れてしまった。女神さえ現れれば書けるのだが」と嘆いている。

当時、芝居を演ずるのは全て男性。女が芝居などハシタナイ、という、この時代に、役者を夢見る上流階級の令嬢ヴァイオラ(グゥイネス・パルトロウ)が男装して芝居のオーデションを受けた。“彼”の才能に驚いたシェークスピアは、その人の正体が自分に憧れている美女であることを知り、驚天動地、彼のペンは俄然、愛の言葉を紡ぎ出してゆく。しかし、ヴァイオラにはエリザベス女王の許可も下りた婚約者がいて、自分にも別居中の妻子がいる。悲喜交々あって、劇さながらの行き違いなどもあって、実生活の恋愛と芝居創作は同時進行。かくして、喜劇は愛の悲劇へと変貌、自分自身の愛の苦悩を『ロミオとジュリエット』へと昇華させていった。

いわゆるバックステージものなのだが、逆に、かの有名な『ロミオとジュリエット』から想像し、シェークスピアはこんな狂おしい恋をしていたかもしれない、というお話になっている。天から降りてきた言葉を書き留めて作品にしたような、言葉の天才魔術師のイメージのシェークスピアだが、その裏では創作の苦しみも意外と大きかったのかもしれない。たくさんの名作をありがとう!(「シェークスピアは一人ではない」説もあるけれど、それほどスゴイということで)

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2007年4月20日 (金)

1999年4月20日コロンバイン高校で銃乱射事件「ボウリング・フォー・コロンバイン」(02年加・米)

武器を所持することは憲法で保障された権利、というアメリカ。銃は日常生活の中に蔓延している。

1999年4月20日、コロラド州リトルトンのコロンバイン高校で起こった銃乱射事件は12人の生徒と1人の教師の命を奪った。銃を撃ち放った2人の男子生徒は、この日の朝、ボウリング場でボウリングをした後、登校して凶行に及び自殺した。この2人がゴシック・ロック系のパフォーマンス歌手であるマリリン・マンソンの歌を聴いていたことから事件との関連を取り沙汰された。ジャーナリストでもあるマイケル・ムーア監督は「マンソンだけ責めて、彼らが犯行直前にしていたボウリングを責めないのはおかしくないか」と疑問を抱く。こんな型破りな感性と精力的な行動力でキツイ風刺とブラックユーモアも込めてアメリカ銃社会を告発している。

大勢の人々に突撃インタビューし、企業や銃販売店などにアポなし取材を敢行。カナダへも出張取材。最後は全米ライフル協会会長であるチャールトン・ヘストン(『十戒』『ベン・ハー』『猿の惑星』などの名優)のビヴァリーヒルズの自宅を訪ねてインタビューするのだが、質問内容までが突撃、なのがチョット・・・。もしこの2人が真摯に対談できれば少しは光が見えてくるかも?? 

解決策などなくても、とにかく現状を伝えたい、という願いで制作されたのだろう。『ボウリング』の意味は、2人の少年が撃ち人を殺傷した銃の弾は、ボウリングの球をピンの代わりに人間に向かって投げたのと大して変わりないのではないか、今のアメリカ社会の現状では。と問いかけられているような気がした。

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2007年4月15日 (日)

1912年4月15日タイタニック号沈没「ジェームズ・キャメロンのタイタニックの秘密」(02年米)

1912年4月10日、イギリスのサザンプトン港からニューヨクに向けて出航した豪華客船・タイタニック号が4月14日23時40分、北大西洋上で氷山に衝突、2時間40分後の4月15日2時20分、沈没し、1500人以上の乗客乗員が犠牲になった。

この史上最悪の海難事故に、ジャック(レオナルド・ディカプリオ)とローズ(ケイト・ウィンスレット)の運命の恋を絡めた大ヒット映画『タイタニック』(’97)のジェームズ・キャメロン監督が沈没している実際のタイタニック号の撮影に挑んだドキュメント・フィルムです。探査船から潜水艇が静かに降りゆく、水深3650メートルの海底にタイタニック号の残骸が照明装置に照らし出され、神々しく浮かび上がる。最新鋭のカメラを搭載した2台の遠隔操作探査機が生き物のように動いてタイタニックの内部を撮影している。膨大な準備を経て、2001年8~9月にかけて行われた、この一大プロジェクトの成果はタイタニック号の衝撃をさらに深めてくれる。また、船のオーナーのイズメイや設計主任のアンドリュースなど、乗船していた人々の実像をも伝えて興味深い。最後まで音楽を奏で続け、感涙させてくれた楽師団も、ほんの少しだが紹介されているのも嬉しい。各分野のエキスパートたちの心に響くコメントもある。

命日には追悼の意味も込めているので、この日にこれはちょっと、と思うのですが『親指タイタニック』(’99)という人間の親指に、顔をCG合成したグロテスクにしてキュートな親指人間が演じる『タイタニック』のパロディー映画があり、妙に笑いのツボにはまってしまいました。30分弱の作品の中に皮肉とギャグ満載で、作者のスティーブン・オーデカーク&親指キャラクターさんに、してやられたり、と思いましたが、『タイタニック』ファンの中には怒る人もいるかと思います。キャメロン監督はどうなんだろう?

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2007年4月13日 (金)

1970年4月13日アポロ13号緊急事態発生「アポロ13」(95年米)

1970年4月11日、ヒューストン時間13時13分、ジム・ラベル(トム・ハンクス)、フレッド・ヘイズ(ビル・パクストン)、ジャック・スワイガート(ケビィン・ベーコン)の3人の宇宙飛行士を乗せたアポロ13号がケネディ宇宙センターから打ち上げられた。月までの行程6分の5まで飛行していた4月13日22時、指令船オデッセイで異常事態を知らせる警告灯が点灯。そのトラブルを乗り切ったと思われた時、轟音が響き船体に衝撃が!宇宙船の酸素の半分の消失と、燃料電池の破損により電力が作り出せない状態に陥ってしまった。アポロ13号の月面探査のミッションは一転、ヒューストン管制センターと宇宙の3人とが正に一丸となって3人の<地上への生還>を目指す。

管制センターの主任ジーン・クランツ(エド・ハリス)はハートの熱さとクールな判断力を備えた理想的な上司で、打ち上げ直前に風疹感染の可能性有とされ乗船を交代した飛行士ケン・マッケングリーン(ゲーリー・シニーズ)がセンターから乗員を必死でバックアップする様子は、この救出劇が人間の信頼関係の賜物であったことを伝えているのだろう。科学技術や個々の能力もさることながら、それ以上に、人間が協力することの勝利の讃歌だ。後にこの事故が「輝かしい失敗」と語り継がれるようになったこともうなずける。(アメリカってホント前向き、見習いたい)

4月17日、南太平洋上に3人の乗員、無事帰還。 結果がわかっていてもハラハラドキドキ見入ってしまい、3人の帰還に大感激し、臨場感ある実写的映像にも感動して、改めて映画の力を感じたホットでクールな感動大作です。

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2007年4月 9日 (月)

1927年4月9日サッコとバンゼッティに死刑宣告「死刑台のメロディ」(71年伊・仏)

アメリカ裁判史上最大の冤罪事件と言われるサッコ=バンゼッティ事件の映画化で、本当にこんなことが起こったのかと、胸が痛くなります。

1920年5月5日、靴職人のニコラ・サッコ(リカルド・クッチョーラ)と魚行商人のバルトロメオ・バンゼッティ(ジャン・マリア・ボロンテ)がマサチューセッツ州ブレントンの強盗殺人の容疑者として検挙された。二人は貧しいイタリア移民で無政府主義者(アナーキスト)、第一次大戦では良心的徴兵拒否をしていた。

当時アメリカでは共産主義に対するヒステリックなまでの弾圧運動が始まっていて、この二人はその生贄にされてしまった。裁判とは名ばかりの偽の証拠で固められ、検察官や裁判長までがあからさまに二人の思想を嫌悪している。そこに人種差別も相まって、最初から見せしめのための政治的結論ありきの裁判だったようだ。この裁判に対し全米各地やロンドンからも抗議運動が起こったが、1927年4月9日、裁判長は死刑を言い渡した。助命嘆願も退けられ、サッコとバンゼッティは電気椅子にかけられた。

ジョーン・バエズの曲が怒りを静かに持続させるかのように効果的に歌われている。映画の邦題はここから来ているのだろうが、ロマンチックすぎていただけない。(似たような題名も多数あるし)

死刑執行から50年後の1977年、マサチューセッツ州知事はこの裁判の誤りを認め、二人の無実を宣言、処刑された8月23日を「サッコとバンゼッティの日」に定めたそうだ。なんでもあり、といった感じのアメリカだが、こういう自浄能力に期待できる国だと思います。

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2007年4月 6日 (金)

1917年4月6日アメリカ、第一次大戦に参戦「エデンの東」(55年米)

おカリフォルニア州モントレー郊外の農場主トラスク家の兄アーロン(リチャード・タバロス)は優等生タイプで父アダム(レイモンド・マッセイ)のお気に入り。大胆さとナイーブさをあわせ持つ弟キャル(ジェームス・ディーン)は父に受け入れられずにいる。

父はレタスの冷凍保存輸送に失敗し大損害を被っていた。そこで、アメリカが戦争に参戦すれば豆の相場が高騰すると聞いたキャルは、家を出て娼館を経営している母(ジョー・バン・フリート)から借金をして豆に投資する。1917年4月6日、アメリカはドイツに宣戦布告。大金を得たキャルは父の誕生日にそのお金をプレゼントするが、やむなく徴兵委員の仕事をしていた父は、戦争で金儲けなどとんでもない、と激怒する。一方、兄アーロンは恋人のアブラ(ジュリー・ハリス)と婚約を報告、父を喜ばせる。意に反し、父との溝は深まるばかりのキャルは深く傷つく。キャルに同情を寄せるようになるアブラ。アーロンとキャルも憎み合うようになっていき・・・・・「戦争は人道に反する」と言っていたアーロンは志願兵となり現実から逃れるように故郷を後にした。純粋培養されたようなアーロンの方が本当はキャルより傷つきやすく、修復力が弱いのだった。

原作は旧約聖書のカインとアベルの物語を元としたジョン・スタインベックの壮大な小説で、人間の生きているこの地上はどこもかしこもエデンの東、という宗教的要素の濃いものなのでしょうが、映画はジェームズ・ディーンという貴重な俳優を得ての青春物語、と思うのは、宗教オンチのせいかもしれません。

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2007年4月 1日 (日)

4月1日エイプリルフールにドイル刑事フランス到着「フレンチ・コネクション2」(75年米)

フランス・アメリカ間の麻薬密売ルートの壊滅に挑む、ニューヨーク市警・麻薬課のドイル刑事(ジーン・ハックマン)が単身、マルセイユにやって来た。チームを組む地元警察のアンリ刑事(ベルナール・ブレッソン)が魚市場で必死にマグロを裂いている。中に麻薬が隠されているとのタレ込みがあったとのことだが、この日は4月1日、その情報はジョークだった。この時は笑っていたドイル刑事だったが、やはり困難を極める麻薬捜査。

舞台がニューヨークの前作で、追い詰めながらも逃がしてしまった犯罪紳士風の麻薬密売組織のドン、シャルニエ(フェルディナンド・レイ)を今回は異国の地マルセイユで追うドイル刑事だが、彼の部下に拉致されてしまう。監禁され麻薬を投与され続け麻薬中毒の状態で、マルセイユ警察に返された。壮絶な苦しみの末、禁断症状を脱し、ニューヨークへの麻薬密輸を阻止しようと不撓不屈の根性を発揮するドイル刑事。アウェイであることの不利さ不便さ、哀愁をもにじませて奮闘する彼は前作よりもステキです。

サンフランシスコ市警のハリー・キャラハン刑事(クリント・イーストウッド)が美女に言われていた言葉「お給料いくらか知らないけれど、とても割りに合わないわね」をこのドイル刑事にも捧げたい。

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