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2007年3月26日 (月)

1827年3月26日べートーヴェン逝く「不滅の恋 ベートーヴェン」(94年米)

1827年3月26日、ルードヴッヒ・ヴァン・ベートーヴェンが56歳で逝去。ウィーン挙げての葬儀が行われた後、ベートーヴェン(ゲイリー・オールドマン)の秘書であり遺言執行人に指名されていたシンドラー(ジェローン・クラッペ)が「全ての楽譜と財産の相続人は我が不滅の恋人ただ一人である」がベートーヴェン最後の遺書だとして、不滅の恋人なる女性を探す旅に出る。手がかりはベートーヴェンが書いた宛名のない熱烈なラブレター。

ベートーヴェンの偉大さを前に音楽家への道を断念したシンドラーにとって、その恋人探しはベートーヴェンの波乱に富んだ生涯をたどり、心を解き明かすための巡礼のように続けられる。

難聴のベートーヴェンがピアノの共鳴板に左耳を押し当て「月光」を弾いている姿は、まるでピアノを抱擁しているかのようで、“音楽こそ不滅の恋人、だって孤高の楽聖ベートーヴェンだもの” とクールなことを思ってしまった。

「第九交響曲」の演奏会が盛大に行われている中、完全に聴覚を失った晩年のベートーヴェンは空想の世界に浸っている。少年時代、横暴な父親から逃れ、夜の林の中の池~水面に満天の星が反射している~に身を浮かべている、神々しくも、いたいけなルードヴッヒ少年の姿は、第九を聴くだび甦るのであります。

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2007年3月20日 (火)

2033年3月20日ジョー天国到着予定日「天国から来たチャンピオン」(78年米)

アメリカン・フットボールの選手、ジョー・ペンドルトン(ウォーレン・ビーティ)が交通事故に遭遇。気がつくと彼はこの世とあの世の中間点である天国行きの駅にいて、天使長(ジェームズ・メイスン)とお迎え役が待っていた。ジョーが「間違ってここへ来た」と主張するので天国へ電話で問い合わせると「ジョー・ペンドルトンの到着予定は2033年3月20日です」との返答が。そこで彼を地上へ戻そうとしたが、すでに彼の肉体は灰になっていた。「無いものねだりが通らんのは地上もここも同じだよ」と、お気楽な天使長。ただし死亡直後で死亡確認される以前の体にならジョーを戻すことができるという。

こんな訳で、妻と秘書によって殺された大会社のオーナー、レオ・ファインワースの体に入り地上に生還したジョー。利益追求のみで他を省みなかったレオに代わり、会社運営にスポーツマンシップを適応、世のため人のためになる会社を目指す。そして、レオの会社と闘っていたベティ(ジュリー・クリスティ)との愛を意識したころ、レオの死体の使用期限切れが近づいて・・・

死んだ気でやる、を地でやってみせてくれる霊界ファンタジーは人間の持つ可能性と今ここにある幸せをも意識させてくれるのでした。

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2007年3月15日 (木)

BC.44年3月15日シーザー(カエサル)暗殺「ジュリアス・シーザー」(53年米)

大昔の出来事なのに日付けが特定されていることに感激です。映画自体は、古代ローマの史実を戯曲にしたシェークスピアの原作をそのまま映画に移行させたような、映画的トリックが全くなく退屈感が否めないのですが。

ローマの将軍兼政治家のジュリアス・シーザー(ルイス・カルホーン)が権力を持ちすぎたとして、穏健派たちが暗殺することを密議し、紀元前44年3月15日、元老院にて実行した。その刺客の中にシーザーが友だと思っていたブルータス(ジェームス・メイスン)もいたので「ブルータス、お前もか」と口をつくシーザー最期の台詞はあまりに有名。

シーザー暗殺直後、ブルータスはローマ市民の前で堂々と自分たちの行動の正当性を訴え、理解を得たかに思われたが、ここにシーザーの寵臣であった若きアントニウス(マーロン・ブランド)がシーザーの亡骸を抱えて登場、ブルータスを遥かに超える名演説を繰り広げたので、独裁阻止・共和制擁護を目指したはずのブルータスたちは謀反人にされてしまった。思い込みが強すぎ自滅してしまうタイプのブルータスも“シェークスピュアーな人々”の立派な一員です。かく言う自分も近いかも^^;

この後ローマにはアントニウスを含む三頭政治の時代がやって来ます。言葉の超達人シェークスピアが言葉の魔力を教示してくれています。

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2007年3月13日 (火)

1938年3月13日ドイツ、オーストリアを併合「サウンド・オブ・ミュージック」(65年米)

1938年3月13日、オーストリアは平和裏にドイツに併合されてしまった。ザルツブルクのゲオルク・フォン・トラップ大佐(クリストファー・プラマー)の元にもドイツ海軍から召集令状が届く。ナチス・ドイツの手先となることを断固として拒否した大佐は、家族で出場した音楽祭を利用して一家9人で国外脱出を決行、アルプスを越えることになる。映画はここで終わっているが、その後のトラップファミリーは亡命先のアメリカで幸せな家庭を再構築したことが本やドキュメント番組で紹介されている。

「神様が一つの扉を閉ざした時、どこかで一つ窓を開けておいてくださる。道はきっとどこかに通じる」という、修道院を出て家庭教師となるためトラップ家に向かうマリア(ジュリー・アンドリュース)が自分自身を励ますこの言葉は見事に結末につながっていて、まさに、Where there's a will, there's a way.(意志あるところ道は開ける)を実証してくれている。

ファミリーの逃亡を援護するためにあることをした二人の修道女が「罪を犯しました」、院長が「どんな罪です?」との、緊迫した中にユーモアが盛り込まれたシーンに至っては、なんとよくできた映画なんだ、と感嘆した。あんな罪なら犯してみたいものだ。物語に沿った音楽が名曲ぞろいなのは言うまでもなく、時々サウンドトラック全曲集を聴いてます。

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2007年3月12日 (月)

1955年3月12日チャーリー・パーカー逝く「バード」(88年米)

小鳥がさえずるような技法でアルトサックスを演奏することから「バード」の愛称で親しまれた天才黒人ジャズ奏者チャーリー・パーカー(フォレスト・ウィティカー)のこの伝記映画は、彼が自殺未遂を起こし病院へ運ばれる1954年9月1日から始まる。波乱万丈の物語が展開するのかと思えば、麻薬とアルコールで早めに人生を終わらせてしまったジャズの申し子、のようなスタンスで描かれていて、後の方からズシリときました。

デフォルメされたフレーズ、三連音符の多用、ユーモアのセンス、オフビートなどを特徴とするモダンジャズ「ビーバップ」をアフター・ジャム・セッションの中で仲間たちと確立したチャーリーは、「ビーバップは若者を堕落させる」とラジオ局から締め出されたりするが、時代が新しいものに追いつかない、ということはままあることで、尊敬されている立場でもあったし、活躍の場もあった。依存症の悪循環にはまってしまったチャーリーは、本人も周りの人々も妻(ダイアン・ベラーノ)さえも死を覚悟している。ディジー・ガレスピー(サミュエル・ライト)は「俺は改革者、お前は殉教者。人は殉教者を尊敬する。お前の過去は水に流しいつまでも讃える」とすごいことを言っている。

入院を拒んでいた彼は1955年3月12日現場の検視官によると「推定死因、心臓麻痺。推定年令65」、実際は34歳の生涯を終えた。この映画のチャーリーは自分の才能というものを全く自覚していなかったように思えるのだが・・・

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2007年3月10日 (土)

1913年3月10日カミーユ・クローデル精神病院に入院「カミーユ・クローデル」(88年仏)

彫刻家を志して勉強していたカミーユ・クローデル(イザベル・アジャーニ)は19歳の時、43歳のオーギュスト・ロダン(ジェラール・ドパルデュー)の生徒となり、その後、弟子にモデルに、そして愛人となり同棲するようになる。二人の間はカミーユがその才能を開花させていくにつれ、師弟関係から愛憎関係へと変遷してゆくのだった。

抜き差しならない関係にピリオドを打つべくロダンの元を去り、新しい作風を模索し始めるカミーユだったが、自分の作品が認められないのはロダンが裏で手を回しているからだと疑ったり、ロダンが自分のアイデアを盗みにやって来るという妄想に囚われたりしていく。ロダンの呪縛から解き放たれるべく創作に没頭すればするほど、ロダンに縛られてしまうカミーユの精神は瓦解していき、ついに、1913年3月10日、精神病院へ送られた。

「ブロンズの私小説」とも言われる、彼女が苦しみの中に遺した作品群には独特な穏やかさが感じられ、カミーユは苦悩や狂気すらも作品に昇華させてしまった芸術家なのだと思う。ただ、1943年10月19日78歳で世を去る30年もの間、病院を出ることなく、一つの作品を創ることもなかったということがあまりに悲しい。

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